六甲横走路

ここのところ毎週末、山に入っている。

主に縦走路を中心に東行西行しながら距離を踏んでいる。

そこでたまには横断コースを行ってみることにする。

六甲の横断といえば有名なのが魚屋道。

こいつからはじめるか・・・。

芦屋と神戸の境目に位置する森稲荷神社から甲南女子大の

横を通り山へ入っていく。

蛙岩から風吹岩、ゴルフ場を抜け雨ヶ峠へ。

いつもはここから一軒茶屋を目指し七曲を登っていくが、

久しぶりに東おたふく山へ行ってみよう。

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ここは小学生の頃

大きな山火事があり、

いったん禿山になった

ところ。

                                 

40年以上前の話ですが・・・。

その後は草原のようになり、

低木しかなかったのが、現在は木も大きく育ち普通の山の

風景が続く。ピークから北へ下りる。

今まで蒸し暑かったのが急に涼しくなった。

ちょっとした谷なので山の空気がたまっているようだ。

北山を越え蛇谷を抜けると山上道路横の石の宝殿に着く。

六甲山は山伏、天狗に関する伝説が多く、昔山中には88の社が

あり、それらの中心が石の宝殿で、修験道場だったようである。

祭神は菊理媛命、山岳信仰における白山の神である。

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つまり白山系の山伏が

開いた行場だったらしい。

江戸時代になって西宮の

廣田神社の氏子たちが

境外摂社として、

雨乞いの場になった

ようである。

               

               

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さて道程は縦走路をたどり一軒茶屋から極楽茶屋へむかう。

厳密には極楽茶屋跡、いまは自動販売機だけ。

さあここから紅葉谷へ入る。

昔、六甲が禿山であった頃でもここだけには豊かな森が

広がっていたといわれ、今でもブナの古木を見ることが

できる。またその名の通り、秋にはすばらしい景色を

見せてくれる六甲の紅葉の名所のひとつでもある。

調子よく下っていくと百間滝、似位滝を示す看板を

見つける。このあたりは有馬四十八滝と呼ばれる滝が

散在している。見に行ったことはないが、なかなかの物

だといううわさは良く聞くので、一度見に行ってみよう。

ただ難所有りという言葉が少しだけ心配でしたが・・・。

百間滝

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似位滝

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少し見くびっていたが、うわさ通り、なかなかの物です。

ちょっと感激。

梅雨時で水量が増えていたのもよかったようだ。

冬には冷え込んでくると今度はすばらしい氷瀑が見られるそうだ。

もちろんその時にはアイゼンは必要だが・・・。

紅葉といい、ブナといい、滝といい、この紅葉谷は

季節それぞれの美しい景色を楽しめる六甲でも有数の

ポイントですね。

七曲滝

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ちょっと感動しながら先を急ぐ。

ロープウェイの有馬温泉駅に到着。

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すぐ横にある鼓ヶ滝公園で

おにぎりタイム。

さあてどっから帰ろうか。

魚屋道で戻るのも芸がないし、

地図を見ていると少し西に

裏六甲縦走路というのがある。

通ったことはないが縦走路という言葉につられて

行ってみることにする。

しかし入っていく道がわからない、取っ付きを探して

有馬の町をうろうろ。

やっと見つけた、落葉山への登り口。

地図で見ると落葉山、灰形山、湯槽谷山を越えて

番匠屋畑尾根を通り極楽茶屋跡へ、距離は4キロほどだが

この有馬三山と呼ばれる三つの山を越えていくのは、

なかなか厳しそうだ。

この三山、それぞれいわくありげな名前がついているので

調べてみた。

落葉山は温泉中高の祖である仁西上人が、神様が投げた

木の葉が落ちた地に温泉を掘りあてたとされたことから

名づけられた。

灰形山は、秀吉の茶会で、有馬に逗留した利休が風雅を

取り入れようとこの山の山容に似せて風炉の灰を盛った

ことに由来する。

また湯槽谷山はこの山の木で有馬温泉の湯舟を作った

ことかららしい。

とにかく裏六甲縦走路へ突入。まずは落葉山、533メートル。

つぎに灰形山、619メートル。この間はやせ尾根の連続で

かなり危険、転倒でもしようものなら転げ落ちてしまいそう。

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灰形山から湯槽谷山、

番匠屋畑尾根にかけては丸太階段の連続、

それもかなりの急勾配。

ダイトレを思い出してしまった。

一時間ほどで極楽茶屋へ行くつもりが30分以上余分に

かかってしまった。

足にもかなりきている。ちょっとなめてたかな・・・。

あとは縦走路から西おたふく山へそれ、住吉道へ下りる。

黒五谷から打越峠を越え岡本八幡神社へでて終了。

30キロぐらいだろうが累積標高はかなりいっているかも。

脚がニコニコと喜んでる。

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明治の六甲山

何だかんだで久しぶりの六甲へ。

今日の予定は岡本→打越峠→雨ヶ峠→最高峰→穂高湖

→シェール道→市ヶ原→摩耶山掬星台→一軒茶屋→岡本。

約40キロ位かな。

我が家近くの岡本八幡から山へ入る。

Midori_2

山の緑は黄緑から緑へ

だいぶ濃くなってきた。

                               

                

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最高峰まで行ってから、西へ向かう。

今日は天気もいいし、ハイカーもいっぱい。

ガーデンテラスも大賑わい、展望テラスは皆さん座り込んで

足の踏み場もありません。

一服しようと思ったがあきらめて先を急ぐ。

穂高湖からシェール道へ。

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木洩れ日のトンネル、

もう少し葉っぱが茂って

もらわないと

木洩れ日にならないか。

トゥエンティークロスから市ヶ原へ向かう。

黒岩尾根への分岐を超えると次に見えたのが地蔵谷への

分岐。摩耶山へ登る道のうち、このルートだけは通っていない。

初めての道だ、いいチャンス、行ってしまえ。

Photo_3 六甲連山と黒岩尾根に

挟まれた谷だ。

谷なのでやはり暗~い感じ。

でもなかなかいい感じ。

                   

ふと気がついた、斜面にやたら岩がゴロゴロしている。

それも古い角の取れた丸い岩ではなく、切り出した感じの岩だ。

でも苔むした後もあるし最近の岩でもない、なんじゃこりゃ。

もう少し行くと同じような岩で組んだ石垣があった。                                                                            Photo_4                    

               

べつに城跡でもなく意味もなく続いているように見える。

これを見て思い出した、この写真。

Photo_5   

この写真は明治36年、

六甲山の植林の様子を

写したものである。

神戸の急激な人口の増加に伴い、布引の貯水池を造ったのは

良いが、雨が降れば山の土砂が流れ込みとても飲料にはならない。

当時の六甲山はほとんどが禿山。

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左は当時の六甲山の

禿山度をあらわした物

であるが、茶色で表現

されているところが、

全て禿山。

あわてて植林を始めた次第。

その時に組まれた石垣がいまだに残っていたり、

崩れた石垣がそのまま放置されている状態のようだ。

それだけ古い六甲の雰囲気を残した道なのかもしれないね。

それに六甲山が巨大な岩の山であることがチラッと

かいま見えるのがこれ。

Photo_7 一個の岩を川の流れが長年

侵食している。

この岩がどれだけの大きさを

しているのか想像はつかない。

Photo_8

まあおかげでところどころに

こんな滝ができていて

いい雰囲気です。

やがて摩耶山直前の縦走路に出て掬星台に到着。

3時も過ぎるとここも閑散。

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寂しそう。

                   

                    

                     

さあ帰ろう。

アゴニー坂、別荘地、丁字ヶ辻、ゴルフ場、ガーデンテラスを経て

西おたふく山から住吉道、黒五谷、打越峠を越えて岡本へ降りる。

約40キロ、累積標高は2550メートルでした。

さあ次は縦走往復か、夜間走か。

六甲夜間マラニック立ち上げたらだれかくるかなぁ。

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ハセツネ

4月のハセツネ30K参加、時間内完走で8ポイント。

日本山岳救助機構入会で2ポイント。

合計10ポイント獲得でめでたく10月のハセツネの

ポイント枠での出場権を得ることができた。

P6010065

そのエントリ ー料の

郵便振替用紙が

送られてきた。

この用紙で6月6日

までに送金すれば

エントリー完了だそうだ。                           

今日(2日)送金してきた。いよいよという感じです。

一般枠での募集も1日に始まったが、わずか2時間で満員、

締切ったそうだ。

だが6日以降にポイント枠のほうで棄権が出て再募集が

ありそうな感じはするが、いずれにしてもますます狭き門に

なったのは確かなようだ。

さあ10月に向けて、もういっちょ気合入れて練習しよっ!。

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GWその3 三田キャンプ

その3というか、5/9、10だから番外編かな。

これも毎年恒例の三田フィールドアスレチックで行われる

音楽仲間を中心の宴会キャンプ。

楽ランからは、Bさん、Kやん、Mっくんに来て頂いた。

Bさんは去年に続いての参加です。

ありがとうございます。

神戸を昼前に出発、現地近くにある木器亭でお昼。

木器はなんと「こうづき」と読みます。

木器はこの近くの地名なんですが、なんかいわれが

ありそうなので調べてみるが近くに木器城があり、光月氏というのが

城主だったらしいというくらいしかわからないし、なぜ木器と

書くようになったかもぜんぜん不明です。

このあたりは南北朝時代にはかなり大きな合戦もあったみたいだし

民話などもたくさん残っているようで、いろいろ調べてみると

なかなか面白そうだ。

さてキャンプ場に入り道具を広げだす。

ステージの前が調理場であり、食堂であり、酒場であり、遊び場であり、

みんな好きなことをやって過ごす。

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子供たちも机やいすを

セットするとアスレチックを

やりにいったりバトミントン

に興じたりする。

おじさんたちはもうみんな生ビールサーバーにたかっている。

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焼き方 Kやん

すみませんねぇ。

手早く焼いていただきました。          

           

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Mっくんはダッチオーブンを

持ち込み、チーズケーキと

キーマカレーを調理中。

後でご馳走になったが絶品!

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使っている品もこだわりの逸品ばかり。

またまた、まいりました。

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ぼちぼちやり始め。

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そろそろ暗くなってきた。

昼間から生ビールを

浴びているお父さんたちは

かなりいい気持ち。

           

音楽は基本的にはブルーグラスとナターシャセブンが

多いのだがフォークソングあり、オリジナルもありで

みんな好きなようにステージに立つ。

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私も恥ずかしながら、拙いバンジョーをかきならす。

自分でへたさかげんにうんざりしながら・・・。

だらだらとステージの上に立っているのも

なかなか楽しいもんです。

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むかしのメンバーに近い?

           

                

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カッコを決めたおっさんたち。

               

              

他にはゲームコーナーもあり

子供たちも楽しむ。

バーボンあり、日本酒あり、焼酎あり、宴会キャンプは

えんえんと続きます。

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楽ランでやってます。

              

               

              

B

さぁそろそろ寝ようかという時

Bさん、倒れる寸前。

               

                  

何時に寝たかも記憶はありませんが、

朝は誰ということなしに

早朝からごそごそ動き出す。

毎年、早朝コーヒーを入れ続けて二十?年という人もいるし、

運転するまで間があるということでまだ残った生ビールにも

何人かが突撃。

そうこうしているうちにまたまた火をおこし残りの肉を焼きだす。

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ご飯を炊く、オムレツ、

ベーコンを焼く、パンをきる、

トーストする、      

自家製チョコペースト、ブルーベリージャムが登場、

味噌汁もあっという間にでき、魚の甘露煮や漬物も・・・。

豪勢な和洋折衷バイキングだ。いくらでも食べてしまう。

この二日間の暴飲暴食分は何キロ走ったら取り返せるのか?

ひと段落するとそろそろと片付ける奴が出てくる。

するとみんな先を争って片付け合戦。

みんな年食ってくると気が短くなるのかな。

10時半ごろにはすっかり片付いてしまった。

前は昼過ぎまでのんびりしてたような気がするが・・・。

楽しい二日間でした、みなさんご苦労さん。

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GWその2 楽ラン合宿

京都の丹波自然運動公園で楽ランの合宿が行われた。

これも早いもので三回目になる。

西宮北インター近くへ、Nミさんを迎えに行き、舞鶴道の

丹南篠山口から丹波へ入る。

少し早く着きすぎたので、近くで見つけた丹波ワインの

工場を少し見学する。

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小さなワイナリーだったけど、

いろいろこだわりを持った

ワイン作りをしておられる

ようでなかなか好印象。

                  

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少しだけ味見もさして

もらいましたがおいしかった。

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さてさてそれはさておき、合宿1日目。

この公園内には公認のクロスカントリーコースがある。

3キロ、4キロ、5キロのコースがあったが、そのうちの

3キロコースをまずアップがわりにゆっくりjogで一周。

その後、各自のスピードで3周する。

本当の山道でなく、走れる坂道だからこれはかなりきつい。

さらにその後、野球場のまわりに1周500メートルのコースがあり

今度はこれをひとり1周でリレー。

日頃、めったに出さないスピードで走る。

これも効きますね、明日は筋肉痛か・・・。

そのかいもなく最下位。

罰ゲームは近くの道の駅まで優勝チームの賞品購入行。

戻るともうみんな一杯やっている。

あわてて風呂へ飛び込みさっぱりするとすぐに夕食の時間。

食堂へ行くと女子中高生がずらり、おっさんたちがどやどやと

入っていくと、何だこいつらはというような顔でじろじろ。

悪いおっさんではないから怖くはないのよ。

お酒は飲めないから食事の時間はあっという間に終わる。

さぁ、部屋に戻って宴会だ。いつもの楽ランの宴会。

相変わらずにぎやかで、まわりの部屋のことを気にしながら

夜遅くまで続く。

恥ずかしながらギターも弾かせてもらい、おっさんたちの

懐メロ大会になっていく。

またいつものように2時半頃まで(たぶん?)騒いで、お開き。

明日は早起きして散歩で山登りだそうだ。

そして朝、頭は覚醒していたものの、体が言う事をきかず、

出遅れてしまった。少しだけまわりを散歩しておしまい。

朝食もまたたっぷりいただいて、今日はトラック練習だ。

jogでアップの後、メニューはコントロール走。

中速チームに入り、1キロごとに6分/キロ、5分半/キロ

5分/キロとスピードを変えてペース感覚を磨く練習だ。

この3キロを1セットとして4回繰り返す。計12キロ。

これはなかなかいい練習だった。昨日の酒も抜けてすっきり。

そしてまたまたリレー大会、アラ4~5のおっさんチームと

若手スピードランナーチームのがちんこ勝負。

まともにやればかなうわけはないのでハンデはレーン。

若手チームは大外の9レーンを走っていただく。

おっさんたちの1レーンとは一周当たり60メートルの

差がある。

400メートル走って60メートルの差では心もとないような

気はしたがいざやってみるとおっさんチームの圧勝。

距離以上にカーブで離される精神的なダメージが

大きいみたいだ。

あとはゆっくりダウンの後、写真撮影して合宿も幕を閉じた。

皆様おつかれさまでした。

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GWその1高島

高島という土地になぜか縁がある。

5年ほど前に出張で長崎から船で30分ほどの所にある

高島という島に1年弱かかわった。

ここは明治以来炭鉱の為だけにあったといっても

よい島で、有名な軍艦島と呼ばれる端島の隣の島である。

島内には炭鉱の施設の他に幕末の英商トーマス・グラバー

の別荘や佐賀鍋島藩の砲台跡など歴史を感じさす史跡もある。

この島で温浴施設の建設にかかわったのだが、なかなか

楽しい出張であった。

そしてもうひとつの高島、滋賀県高島市。

高島市は最近、マキノ町、高島町、今津町、朽木村、新旭町、

安曇川町の六つの自治体が合併し誕生した。

キャンプは信州、岐阜によく出かけるのだが、近場では     

圧倒的に琵琶湖まわりが多い。そして高島の近くには

いいキャンプ場がたくさんある。

マキノ高原、サニービーチ知内浜と高木浜、ビラデスト今津、

朽木村、マリンスポーツ、白髭浜、まだまだいっぱい。

そして今回訪れてみたのは六つ矢崎浜キャンプ場。

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六つ矢崎浜ってなんだと

思い、すこし調べてみた

けれど不明。

近くにあるしんあさひ

風車村の風車が

矢車風の羽が6枚なのでこれかなとも思うけれど

よくわかりません。

今回は名神の渋滞を回避して篠山から亀岡、大原、途中峠を

経由して湖西へ入った。

時間はかかったけれど新緑の美しい景色を満喫しながらの

ドライブは、なかなかのものでした。

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今回は食事は定番の

バーベキューや鍋を

しながら地元の酒を

いただき、日中は

レンタサイクルで

マキノ高原や湖岸を散策したりしてのんびり過ごす。

このあたりは湖岸の原風景がいっぱい残っている。

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これはキャンプ場の

すぐ横にある湿地。

変な護岸工事をせずに                     

意識してこういう場所を         

残そうとしているようだ。

この中には絶滅危惧種の植物も自生していたりして

さすが滋賀県というべきか。

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ここは知内浜.

美しい砂浜、竹生島

も見える。

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マキノ高原近く。

                

                  

              

             

子供たちも大きくなってきたので

準備や設営、調理、後片付けも

ずいぶん楽になった。

今回このキャンプ場を選んだのは

もうひとつわけがある。

ここからすぐ近くに針江という集落があって生水の郷と

呼ばれている。生水とは何ぞや。

なまみずではありません。しょうずと読みます。

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ここ針江では昔から鉄管を

約20m打ち込むと非常に

綺麗な地下水が湧き出す

地区だそうで、比良山系に

降った雪、雨水が何年も

かかり伏流水となりこの地域を通り琵琶湖に流れていると

考えられている。

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ここではこの水を生水と

呼び、昔から大切に

利用してきた。

各家庭の元池(もといけ)

から湧き出した生水は

まず一番綺麗な水が溜まる壺池(つぼいけ)に入る。

壺池の水はお料理、野菜の洗い水に、又洗顔に使われ、

水は端池(はたいけ)に流れる。端池にはたくさんの鯉や鮒が

飼われていて、料理の野菜くず、鍋釜の米粒などを

食べ浄化してくれる。

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水は家の前の小川に入り、

そして隣の端池に入り、

また川に戻り、やがて集落の

中央を流れる針江大川へと

流れ込み、そして琵琶湖に

流れて行く。

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このシステムのことを

川端(かばた)と呼び、

針江の生水(しょうず)は

「生きた水」「生きる水」

「命の水」ということ。

ここの人たちは川上の人を信頼し、川下の人を思いやり

この水を大切に使っているのである。

この水路や針江大川には鮎やビワマスなどの稀少な

淡水魚も遡上してくる。

つまりこの壺池、端池、水路、針江大川、琵琶湖という

水の流れの上に成立する生態系は非常に巧妙な

バランスを保っており、人間の食べ残しなどによって

水が腐るというようなことは無く、

美しい流れを維持しているのである。

このあたりから山のほうへ目を転じると、人の手の

入った雑木林が広がっていたり、いわゆる里山と呼ばれる

日本の原風景のひとつともいってもいい場所が残されていて

しかもそこには今でも人がいて生活がある。

単なる奥深い田舎ではなく、人が自然と共にある姿を

見ることが出来る今となっては数少ない所なのかもしれない。

ここは世界的にも有名になっているようで、各国から

エコツアーとして訪れる人も増えているようだ。

本当はここの人がガイドとなって各家の中まで案内してくれる

のだが、今回は春祭りのため、そんな案内はなかったのだが

いつかもう一度訪れて見てみたいところだ。

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ハセツネ30K

10月のハセツネに向けてのポイント獲得レース

”ハセツネ30K”に参加してきた。

前泊で土曜日のお昼に東京入り。

この日は楽ランEASTで歓迎RUNと宴を企画していただく。

竹橋をスタートし、皇居から芝増上寺、高輪泉岳寺まで行き、

神田まで帰ってくるという、名付けて歴史探訪ラン。

竹橋を出発、気象庁前から大手門、皇居前広場から

桜田門を抜ける。1860年3月3日、時の大老井伊直弼が

水戸の浪士に襲撃され暗殺された。

言わずと知れた”桜田門外の変”の現場。

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長州、薩摩など雄藩が力を

持ち出したのを阻止し、

幕府の権力を復活させよう

とした直弼が殺された

ことにより、時代が一挙に尊王攘夷へと突っ走る

ことになった幕末の大事件だ。

当時とはまわりの景色はまったく違うだろうけど、

直弼の絶命した籠はどの辺だったのかななどと

考えながら、道程は進む。

隊長のメモです。ありがとうございます。

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国会議事堂から霞ヶ関、

虎ノ門へ。

おっとこんなところに

金刀比羅宮がある。

香川の金毘羅さんの分社だ。

さらに進み、東京タワーの横を通ると芝増上寺。

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徳川家の菩提寺で

何人かの将軍とそ

の御台所などが

祀られている。

秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂の6人、そして

”篤姫”に出てきた皇女和宮も家茂夫人として名前が見える。

ここは戦前までは日光東照宮にも引けをとらない

壮大な霊廟だったらしいが空襲でほとんどが焼けてしまった。

もったいないことです。

風水学的には上野の寛永寺が江戸の鬼門の方角にあたり、

増上寺は裏鬼門にあたるそうです。

さて増上寺で一服した後は、三田から高輪泉岳寺へ。

忠臣蔵で有名な播州赤穂浅野家の菩提寺です。

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松の廊下で刀を振り回した

内匠頭長矩さんや嫁はんの

阿久里さん

大石内蔵助以下46人の

墓もここにあります。

いまだに線香の絶えることもなく、赤穂浪士の人気の高さを

物語っている。忠臣蔵は有名なわりに結構謎が多く、

面白い話がいっぱいあるんですが、書きだすと長くなるので

やめておきます。

泉岳寺を出て給水、補給をして帰路に着く。

よもやま話をしながら大手町に到着。

ここでト○ックマンさんが帰られるとのことなので、記念撮影。

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お疲れ様でした。

神田駅のコインロッカーで

解散、ここではka○miさんが

ご帰宅、そして稲荷湯で湯浴み。

稲荷湯は荷物を預けてから走っている人が多いらしく、

ロッカーはいっぱい。ランニングブームですなぁ。

お風呂の後、ya○隊長とt○mさんとお別れ。

隊長、今日の引率ありがとうございました。

さてさて、いよいよ宴会です。

ここにかけつけてくれたのが、EASTの重鎮ドラ○ン社長に、

ぽ○た秘書、若手の幹事めけ○けさん、以前に六甲を

一緒に走ったed○yさん、明日ハセツネ30Kを走るとら○ちさん、

最近東京に転勤になったMA○弘さん。

そして今日一緒に走ったトレイルランナーt○yoさん、

走り出した動機の不純な?と○たさん、WESTからのまさ○きくん、

総勢9名の宴となりました。

ランの話、トレイルの話、男と女の話、○の話、

にぎやかな宴でした。

どこかのように出入禁止になることもなく記念撮影。

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もうちょっとだけと

あきらめの悪い人たちの

ささやかな2次会もあり

この日は終了。

皆さんいろいろありがとうございました。

そしてあくる日、いよいよハセツネ30K。

4時起床、朝食、そして戦闘服への着替え、

5時58分の電車に乗る。7時34分に武蔵五日市に到着したが、

下りる人間はほとんどがそれとわかるランナーたち。

他にはハイカーぐらいしかいない。

駅前でとら○ちさんと会い、えらい人やなぁといいながら会場へ。

途中、うまっ○さんとも遭遇。

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結構な距離を歩いてようやく会場到着。すぐ身支度を整える。

あんまり時間の余裕はない。社長は間に合うのかな。

うまっ○さんは日章サーフパンツをひるがえしながら

先にスタート地点へ。社長も登場し、歩き出すがすぐに渋滞、

こんなんで時間通りにスタートできるのか。

なんとか間に合うも予想時間ごとのブロックわけになっているはずだが

そんなところへ並ぶ余裕などない。

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すぐにスタート。

まだ道が広いので

そこそこ走れる。

しかし・・・。

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1300人走ればこれは

避けられないかな。

30分ほどロスしたか、

やっと動き出した。

沢のそばを登っていく。なかなか気持ちいい道。

しかしどんどん角度が大きくなっていく。刈寄山への直登だ。

やっと越えるとすぐ階段の下り、そして第一関門。

このコースの高低図を見ると最初に急なピークがありその後に

大きな山が控えている。

これを見て六甲の菊水山と摩耶山を連想していたが、菊水の後の

鍋蓋あたりの山道がない。

ひたすら舗装路の下りが続く。醍醐分岐を過ぎると今度はだらだらの

登りが続く。

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昨日のとら○ちさんの

試走情報どおりだ。

この舗装区間で調子に乗って

飛ばすと後で脚に来るぞと

自重、自重。登りも適当に歩く。この区間がつまらないし

一番長く感じた。そうこうすると第2関門。

ここからようやく山道だ。わくわくしてきたがまだしばらく登る。

先に行っていたどら○ん社長に追いつく。練習不足らしい。

お先に行かしていただく。小さなアップダウンが始まる。

ここからが本番、脚はまだまだ残っているし、快調にすすむ。

下りも急だが走れる下りだ、めっちゃ楽しい。

トレイルはこうでなくっちゃね。

しかしレースも終盤にかかってくるとさすがに楽しいばかり

というわけにはいかない。

アップダウンの繰り返しが残りの脚を奪っていく。トッキリ場で一服。

前後して進んでいる方と話すとはなしにもうすぐ第3関門

ですよねなどといいながらすこし休む。さあ最後だがんばろう。

時計を見るとゴールは5時間前後かなという感じ。

しんどいけどもうすぐ終わってしまう寂しさも感じつつ

あと2キロ、1キロの看板が過ぎていく。

ゴール直前でとら○ちさんとうまっ○さんが声をかけてくれる。

もう着替えて涼しい顔だ、さすが速いね。

ということでゴールは5時間15分。

とにもかくにも本レース用に8ポイント獲得です。

さてあんまりゆっくりもしていられない。今日中に神戸へ帰らなければ。

といいながら駅までの途中、3人でプチ打上げ。

ほんと今回はEASTの皆さんにはいろいろお世話になりました。

ありがとうございました。

秋にも来ますのでまたよろしくです。

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熊野古道トレイルランニングレース

今年は熊野づいている。

2月には口熊野マラソン参加したのだが、この時は文字通り

熊野古道の入口を走る大会、今度はその折り返し地点の近くが

スタート。

会社が会員になっているホテルが白浜にあるのでここを利用。

ルームチャージだけで安く泊まれる。

食事のほうはこれも近くの現場に行っているやつに情報をもらう。

Benkei

紀伊田辺駅で

Tかにょろさんと

待ち合わせして

嫁と3人で

"いけ口"という割烹へ。

これが思っていた以上にヒット。

寒グレの刺身、石鯛のかまの塩焼き、中でも最後に食べた鯛めしは

絶品のうまさ。

いつ行ってもあるものにうまい物はないというこだわりでやって

おられるそうだが、旬のいいものが入った時にしか仕入れないから

メニューにあっても、ないものもあるそうである。

うまい料理に少し飲みすぎてしまった。

レースに影響は出ないかな、Bガさんだったら大丈夫やろけど・・・。

さて当日、古道ヶ丘というそれらしい名前の体育センターがあり、

体育館と宿泊施設そしてキャンプ場がある。

この体育館が大会本部で更衣室、荷物置場となっており、

またこの大会のホームページを掲載している和歌山の

スポーツショップがモントレイルやグレゴリーの新作商品や

安価な旧モデルを販売している。

欲しい物がいっぱい、目の毒です。

Monn

さてレースの方は、

参加者は約180人。

定員は200人だったが、

トレイルブームとはいえ

関西では、もうひとつではあるし、

花粉の季節まっただなかに紀の国つまり

木の国の杉だらけの山を走るのは敬遠されたのかもね。

マスクして走っている人もいましたが・・・。

私も花粉症ですが走っている最中はぜんぜん気になりません。

スタートは持ちタイム別に60人ずつ3組の時間差スタート。

Photo

渋滞もなく

スムーズな始まりです。

トレイルのレースは

これぐらいが限界

なのかもしれません。

キャンプ場の中の急な舗装路を登っていく。

すぐに山道になり飯盛山への丸太階段。

尾根道へ出る、この尾根道が熊野古道だ。

ひとやま越えると高原霧の里のエイド、ハイドレも持っているし

ここは通過。集落の中をしばらく行くと再び山道へ入る。

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今日のコースの

最高地点へ向かっての

急なのぼり、だらだら登りが

続く。

今日は32キロで少し短いので、だらだら登りはできるだけ走る。

スタートまではすごく寒かったが、気温はどんどん上がっているようで

ジャケットを脱ぐ。楽ランTシャツを見せて走る。

木々の緑の中の赤はきれいです、自分ではあんまり見えないけれど・・・。

十丈王子のチェックポイント到着。

このレースのチェックはスタート、ゴールと3ヵ所の

チェックポイントの計5回、靴につけるチップではなく、

ランナーは手の指に棒状のチップをゴムバンドで装着していて、

チェックポイントにある機械についている穴に先っちょを突っ込むと

ランプが点灯しピッと音がする。

これでチェック完了。

これはロゲイニングやオリエンテーションで使うやつじゃないかな。

さらにしばらく登ると悪四郎屋敷、上多和屋敷と呼ばれる茶屋の跡、

この辺が最高地点らしい。登りの後この茶屋で一服したんだろうね。

これを越えると快調に下る、まだ足は元気だ、気持ちいい。

するとかなり後からすいませんという声、少し端によると

恐ろしい速さで、追い越していく。

落ちていくような速さだ、一歩が4~5mありそう。

参った!

しばらく下ると林道に出る。だらだら下っているが、

土の道とはいえ、砕石まじりのカチカチの道。

あんまり楽しくないねぇ。それに折り返した後はこの道を

登ってこなければいけないはず、それを思ってぞっとする。

しばらく行くとトップのランナーとすれ違う。

今日はゲストランナーに奥宮俊祐選手が出場している。

ハセツネでもトップを争う人ですが今日は2位でやってきた。

声をかけるとにこっとしてゆうゆうと走っていった。

だらだら登りだからかなり厳しいはずだけど、さすがですね。

トレイルランナーというのは結構仲間意識が強いようで

ひとりで山を走っていてもランナーと出会うと笑顔で声を

掛け合うことが多いが、レースでも一緒だね。

みんな声を出してすれ違っていく。

この道はつらすぎるわ、舗装路ばっかりやんけと

文句を言い合っているやつもいますが・・・。

アスファルトに変わった林道をさらに下ると近露の折り返し。

エイドもあったのでバナナなどをいただく。

さあ、あと半分だ。案の定だらだらの登りは厳しい。

ぎりぎり走れる勾配かな、これを歩くわけにも行かず、

がんばりどころだ。

Tかにょろさんが来た。うん元気だ。ハイタッチ!

しばらくすると嫁、こっちは固い道にうんざりといった感じ。

何とか登りきって林道交差点、ここからは往路と違い

熊野古道は走らずにすぐ横を沿って通っている林道を行く。

当初の予定では同じ道を戻っていたはずだったが、

ハイカーや観光客に配慮したようだ。ちょっと惜しいね。

でもほぼフラットで雰囲気のある林道だったので

まだよかったですが。

この道も途中から舗装路になり長いくだりが続く。

まだ林の中なので雰囲気はいい。ちょっと調子に乗って飛ばす。

高原霧の里のエイドに戻ってきた時にはガス欠気味。

ちょっと調子に乗りすぎました、ちゃんとエネルギー補給は

しないとね。エイドでまたバナナを2個とスポーツ飲料をもらい

持っていたチョコレートとアミノ酸の顆粒を飲んでゆっくり

動き出す。飯盛山の登りにかかる頃にはだいぶ回復してきた。

さあもうちょっとだ。熊野古道に別れを告げ古道ヶ丘への下り、

キャンプ場のログハウスと体育館が見えてきた。

アスファルトの急な下り、足はまた元気になっているので

最後はかっこよくゴールしよう。

結果は3時間57分、50歳以上の部で8位。

とはいっても20数人しか出てませんが・・・。

ゴール後にはくじ引き、ここで本日の最高額景品を引き当てる。

グレゴリーのスティミュラス、トレイルレース用のザックだ。

大喜び、熊野まできたかいがあった。

施設の風呂をいただき、帰路につく。

Photo_3

今回は前日にも

熊野本宮大社まで

足をのばし、古より続く

熊野詣も果たしたし

(車ではありますが)、うまい料理も食べたし、ザックはもらえるし、

なかなかいい休日でした。

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菜の花忌

菜の花忌

少し過ぎてしまいましたが、2月12日は菜の花忌でした。

なんのこっちゃ・・・。

実は、作家 司馬遼太郎の命日です。

歴史小説をいろいろ読みあさってきたけれども、家にある

小説の中で一番多いのは、氏の作品である。

もちろん氏の作品の多さもあるが、たくさん歴史小説家と

いわれる人がいるなかで、圧倒的にファンだったことの

結果だと思う。

一番初めに読んだのが何かは忘れてしまったけれど、たぶん

”国盗り物語”だったような気がしますが、彼がかく歴史は

いつのまにか自分の歴史観の大きな部分を占めてしまっている。

歴史学者や歴史研究家の方たちからは司馬史観といわれて

独自の歴史観だといわれていますが、私にとっては

まず司馬史観ありき、あとからそれが氏独特の考え方である

ことを知る、そういう順番でした。

その史観を作り上げたのは膨大な量の資料や文書の調査、

そして実際に現地へ行っての聞き込み(刑事じゃない?)に

よるもののようですね。

また聞くところによると彼は速読の名人だったそうです。

人と対談をしながら一冊の文庫本を読んでしまったとか、

たぶん字を見ながらの要点読みだとは思うが、

すごい速さだったようです。

たしかに資料を調べて、自分なりの流れを作り、

小説にするわけですから、氏の作品の多さから見ても

のんびり読んでいるわけにはいきませんよね。

そして現地調査、書こうとする作品の主要な土地へ実際に

赴き、土地柄、その土地の雰囲気まで調べ上げる。

それは”街道を行く”という紀行文になっているのだが、

小説を読んだ上で、この旅の様子を読むと、また

違った面白さがあって、これにも結構はまりました。

その時その人物が何を考えてどんな行動をとったかを、

今その土地で生きている人たちから何かヒントを

得られないか、そんな旅をしている。

”街道を行く”こと自体が司馬遼太郎のライフワークで

あるかと思うほど旅もお好きだったようですね。

そんな中から生まれた司馬作品。

初めて読み出した時から、毎作品が面白くて面白くて、

読みあさっていましたが、ある程度読んでいった時に、

一番印象に残っていた作品はというと、土佐の戦国大名

長宗我部元親を描いた”夏草の賦”。

司馬氏にとってはたんたんと生み出していった作品の

一つかもしれないけれど、なぜか頭に残った作品でした。

土佐から勢力を広げだし、四国全土を手にしようとした矢先、

信長、秀吉という大きな壁に阻まれ、泣く泣く膝を屈する。

他の三国を手ばなし、また土佐一国に押し込められてしまう。

しかし、それだけではすまず、宮仕えのつらいところ、

秀吉の九州島津攻めの時、あほな上司のせいで、

有能で将来を嘱望されていた最愛の長男、信親を死なせてしまう。

がっくりきた元親は四男盛親に家督を譲り、一気に覇気を

失ってしまう。

この長宗我部信親、享年22歳だった言われるが、

非のうちどころのない青年だったようで、身の丈六尺一寸、

当時男でも160cmほどが普通の時代に185cmは

巨人に見えたかもしれません。

色白柔和にして、勇猛果敢、戦上手で家臣、領民にも

人気絶大。

九州島津氏との戸次川の戦いにおいて、豊臣氏の

軍監・仙石秀久の無謀な進撃命令のため、土佐勢

の主力二千名と共に敵中に孤立してしまう。

この時仙石秀久くんはさっさと逃亡していたそうですが。

何万という島津勢とたった二千人の土佐勢、戦いの結果は

決まっていますが、この時、信親と土佐の重臣たち、それに

剽悍で知られた一領具足と呼ばれる土佐の地侍たちは、

当時でも信じられないような戦いを行います。

重臣たちは全滅、全体の戦死率は7割を超えていました。

普通、軍用語で全滅というのは人が全部死ぬことではなくて

軍としての機能が果たせないことを指します。

だから戦死率で言えばひどい戦いでも3割。

つまりある程度やられれば逃げ出してしまうというのが普通。

だから7割の戦死率というのは誰も逃げず、誰も降参せず

徹底的に戦った証であり、誰よりも相手の島津側が驚き、

元来、勇猛であることに非常に重きを置く家風であることや

他の豊臣軍がさっさと逃げ出してしまった事もあり、

信親の遺骸を丁重に扱って返還し、土佐勢全体に

最大限の敬意を払ったようです。

そんな息子を失った元親の失望は察してあまりあります。

なんにもする気がなくなったとでも言いましょうか。

司馬遼太郎もそんな元親の身になって作品を

書いていたのかもしれません。

私にとっては妙に印象的な一冊でした。

もうひとつ、”坂の上の雲”。

今年から、スペシャル大河ドラマという位置づけで2,3年かけて

完結されるテレビドラマ化されるようです。

司馬遼太郎自身、戦時中は大陸で戦車に乗っていた

こともあって、日本人は何でこんな馬鹿な戦争を

おこしてしまったのかという思いを持ったようで、そのことが

日本人には過去にはもっと素晴らしい人間がいたはずだと

考え、歴史小説を書き始めたという話もあります。

あの戦争の是非もあるし、現在の日本を見ても首をかしげるような

政治家が多い中で、未曾有の国難に際し政治家も国民もひとつに

なってそれに対抗し何とかしのぎきった明治の日本に対し

ある種の憧憬を感じていたのかもしれませんね。

私もこれをはじめて読んだ時に、太平洋戦争を描いた小説や

戦記を読んだ時と比べて国や軍の非合理性を理由にした

損害、犠牲の話が少ないことが読んでいて心地よかった。

ただひとつ日露戦争の中で消耗戦となった旅順攻略戦において

これを指揮した乃木希典をこきおろしてしまっています。

司馬遼太郎にとってこのときの乃木は昭和の日本につながる

精神主義のかたまりのように見えたのかもしれませんね。

ただ明治維新を経て藩の領民でしかなかった民というものが

はじめて日本国民という意識を持ち出した明治の日本は、

いろんな意味で活力にあふれていたんだろう。

愛媛にいた普通の兄弟が兄は世界最強と言われたロシアの

コサック騎兵に対し、矮小な日本騎兵を指揮して少なくとも

負けなかった、そして弟はロシアのバルチック艦隊との決戦において

その作戦を立案し圧倒的な勝利を演出した、またその友人は

俳聖、松尾芭蕉以来の俳人として名を成す。

この三人を中心に話は進んでいきますが、たしかにそこには

かっこいい日本がある。

結局、司馬遼太郎は日本人を大好きでいたかった、そのために

かっこいい主人公を作り続けたのかなとも思う。

彼の作品を読んでて思うのはその主人公の一番のファンは

彼自身であるということ、”龍馬が行く”の中の龍馬を

司馬遼太郎は好きで好きでたまらなかったんだろうね。

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丹生山系縦走

以前からねらっていた丹生山系縦走路へ行ってきた。

ここは六甲山系から谷ひとつ隔てて北側に連なる山々で、

もちろん六甲ほどメジャーでもないし、便利でもないので

ハイキングする人も多くないのだが、その分このあたりの

本当の里山の姿を残しているのかもしれない。

毎年、神戸電鉄主催の縦走大会が開かれており、ハイカーの

中では玄人受けするコースのようで、なかなか人気もあるようだ。

また歴史的にもなかなか面白い伝説が残っていて興味は尽きない。

神鉄の縦走は藍那駅スタートで、丹生山、帝釈山、稚子ヶ墓山、

花折山、金剛童子山、黒甲越、屏風谷、八多、神鉄岡場駅までの

27キロだが最近コースが変更になって、岡場周辺の市街地が

省略され、かわりにスタートが栄駅になり、衝原湖からシビレ山に

取り付くようになったらしい。このため藍那駅から丹生山の間も

通らなくなってしまったが、この道は藍那古道ともよばれている。

歴史上有名な源平合戦のうちのひとつ、一の谷の合戦で

源義経は海岸沿いに陣を敷く平家軍に対し裏山から逆落としに

攻撃をかけた。この場所が六甲縦走でも通る旗振り山から鉄拐山

のあたりといわれているが、京都から亀岡を抜けて篠山まで出て

南下し、丹生山から藍那、鵯越を越えてここまでたどり着いたと

言われている。このため義経道という別名もある。

この歴史の道も通らなくなってしまったようだ。

少し残念な気もしますが、今日はこの新コースにしたがって

行ってみる。

10時半ころ栄駅スタート。

朝は天気が良かったのに曇ってきた。夕方は雨らしいし

最後まで行けないかもしれないなぁ。

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ここから衝原湖までは

サイクリングロードを行く。

しかし、サイクリングロードに

なぜか階段がある。

押して上れるようにはなっているが・・・。

ぶつくさ言いながら走っていると、なにやら爆音が聞こえてくる。

なんとバイクのサーキットコース。

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静かな山にエンジン音が

響き渡っている。

えーかいな、そばにはゴルフ場も

あるけど、ゴルフしていても

やかましいだろうなぁ。

すぐに衝原湖の周回道路へ出る。

実はこの衝原湖畔には"箱木千年家"という日本最古の民家が

保存されていて資料館のようになっている。

姫路と奈良にもある3軒のうちのひとつで重要文化財に

なっている。

以前から一度行ってみたいのだが、機会がなくていまだ

実現していない。

今日もできたら行きたかったのだが、時間も

押してきたので、あきらめる。

湖の真ん中あたりにかかる橋を渡って対岸へ。

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ここがシビレ山への取付きだ。

すぐに山道、

山の雰囲気は六甲とは

ずいぶん違う。                                                   

生えている植物もだし、見えている岩が苔むしていたり、

苔むした後があったり、やっぱりひっそりして静かな感じだ。

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しばらく行って尾根道に出る。

木の高さが低く、明るい感じ、それに若い松が多い。

下草は笹ではなく、ウラジロがたくさん生えている。

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そう、お正月の注連飾りに

使うやつだ。

なんとなく山というより

どっかの庭を歩いているような

気になってきた。

そういえば子供の頃、六甲のふもとでも山へ行くまでの

ちょっとした岡や原っぱはこんな感じだったなぁ。

なんかすごく懐かしい感じがしてきた。

なんて郷愁にひたっていると、シビレ山への登りはどんどん

厳しくなってくる。道にはほとんど手は入っていないから、

砂でずり落ちそうなところ、がけ登り、岩登りのようなところ、

谷底へ転げ落ちそうな細い道、いろいろ変化に富んで面白い。

ようやくシビレ山を越え、丹生山へ向かう。

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このあたりは少し森が

深くなった感じ、暗くさびしい。

縦走路は丹生山手前を

帝釈山へと向かう。

丹生山頂には丹生神社があるので行ってみたかったが

ここもパス。

その代わりといってはなんだが、丹生城跡の看板。

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羽柴秀吉の三木別所攻めの時、

焼き討ちにあった城である。

しかしよくこんな山の上に

城を作るもんだ、それに

トレイルシューズもない時代にわらじで岩やブッシュだらけの

こんな山道を走り回っていた当時の

人ってどんな足をしていたのか。

帝釈山への登りもまた同じく辛い登り。

やっとピーク。

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おにぎりタイム。

南を見れば菊水から

摩耶山への稜線が見える。

その手前には鈴蘭台の街並み。

けど空模様が気になる。

雨の降り出しも早そうだし、次の山、稚子ヶ墓山を越えたら

箕谷の方へ降りることにする。

箕谷スポーツホテルに入浴施設もあるみたい。

さて稚子ヶ墓山への登りはまた思いっきりのガレ道。

ここの石たちも苔むしていて緑の道。

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石はごろごろ動いて

歩きにくいことこの上ない。

                                 

ここ稚子ヶ墓山は丹生山系の最高峰。

Photo_11 変わった名の山ですが

丹生山のお城が焼き討ちされ

この山まで逃げてきた侍童、稚児たちが

この山でたくさん斬られた。

その時からこの山の名前が

こうなったそうである。

さらに縦走路の次の山は花折山、殺された子供たちを哀れんで

里の村人たちが花を折って供えたところからこの名がついた。

悲しい名前が続きますね。

さてお風呂へ向かって降りるはずが少し道を間違ったみたいで

道があるようなないようなところを降りてしまった。

ただ少し降りすぎてしまったみたいなので風呂はパスして

箕谷の駅へ向かうことに。

駅に着く前くらいから雨が降り出してきた。

降りてきて正解。スタートから約18キロ、ちょっと物足りませんが

初めての山はなかなか楽しかった。

ただ上りも下りも険しくて走るところが非常に少なかったのが

もうひとつでしたが縦走路をもう少し行くと走れそうな感じも

あるし、もう一度完走しに来なくっちゃ。

けど夏は暑いかも・・・。

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