龍馬の足跡
神戸ポートアイランドでの仕事の帰り、旧居留地あたりを歩く。
2号線沿いにこんなものが、
阪神高速が横倒しになった映像を
ご記憶の方は多いだろうが、
これは倒れはしなかったものの
表面のコンクリートが剥がれ落ちた
高速道路の支柱である。その他、
被災した道路の部品が二、三点
歩道の脇に保存されている。
あの時はこんなものが街じゅうにあふれていたなぁ・・・。
なんか大昔のような気がする。
ルミナリエも存続が危ぶまれているし、こんなふうに記憶は
歴史へと風化していくのか。
などと考えながら歩いていると、なんとBさんにばったり。
つい何時間か前まで、いっしょにべろべろになるまで
飲んでたのに、なんでこんな所で会うねんと大笑い。
けっこうばったり会うことが多いのは、前世の因縁
かなんかあるのかな。
さらにもう少し行くとメリケンパーク入口近くにみなと公園
というのがある。
ここは幕末に幕府軍艦奉行、
勝安房守(海舟)が、開設した
幕府海軍操練所の跡。
ここの塾頭として、船を教えていたのが、坂本龍馬。
後に幕府を倒す立役者になった龍馬が幕府の施設で活躍していた、
すごく龍馬らしいエピソード。
公園内の碑
ここには、勝海舟、伊藤博文
陸奥宗光 などの名が見える。
陸奥宗光といえば、龍馬が新政府の顔ぶれについて
案を作り、西郷に見せる。西郷は一目見るなり、
怪訝そうな顔で龍馬の顔をうかがう。
西郷;「坂本サァ、おまんさぁの名が見えもはんが・・・」
坂本;「わしですか、わしは世界の海援隊でもやりますきに」
龍馬ファン垂涎の名場面。
この場面に同席していたのが、陸奥陽之助、後のかみそり
といわれた外務大臣陸奥宗光。
彼は生涯この時のことを語る時、幕末の大巨人 西郷隆盛も
龍馬の前では、新政府での地位に汲々とする一小人でしか
なかったといいつづけたそうな。
歴史のひとこまでした。
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阪神大震災当時の爪あとが保存されているんですね。
あの瞬間まだ眠ってる頭で飛び起きて、隣で寝ている家内を蹴飛ばして、子供の部屋に駆けつけたのを思い出します。大阪湾を隔てた我が家のある泉州地域でもスゴイ揺れでしたから。
ところでジャンさんは、ホント色々な事を良くご存知ですねェ。ブログを読むたびに感心させられちゃいます。
そしてBさんとは、きっと前世はご夫婦だったんじゃないでしょうか?
投稿: たっくん | 2007年12月18日 (火) 19時16分
たっくん
地震ではうちの家は全壊だったし、まわりではたくさんの人がなくなったのに十年も経つと忘れてることが多くなってきます。人間、忘れるから生きていけるのかも知らないけど。
歴史小説読みあさりました。時々こんなこと書いていきますので朝礼ねたにでも使ってください。
投稿: ジャン | 2007年12月18日 (火) 19時31分
世の人は我を何とも云はばいへ我がなすことは我のみぞ知る
この歌に感銘して龍馬に興味を持ち、司馬遼太郎の「龍馬がいく」を二度読んですっかりその虜に。
歴史上の傑物の中で最も会ってみたい人物です。
投稿: tacoco | 2007年12月20日 (木) 09時41分
tacocoさん
歴史上で"もし"が許されるとしたら、一番見てみたいのが龍馬が作った明治の日本。
血なまぐさい幕末の歴史が真っ暗なイメージにならないのは、坂本龍馬の明るさのおかげと思っています。ただのおっちょこちょいだと言う人もいますが、そんな彼だからこそ、死ななければならなかったのかもしれませんね。
投稿: ジャン | 2007年12月20日 (木) 11時29分