最近のトラックバック

« 野洲弥生の森歴史公園 | トップページ | 丹波篠山 »

桜井の別れ

仕事で訪れた大阪府三島郡島本町。

大阪府の郡も少なくなってきたがそのうちのひとつ三島郡、

高槻と山崎の間になる。阪急の駅でいえば"水無瀬"。

ここには"太平記"ゆかりの史跡がある。

Photosakuraiekiato8

史跡内はたくさんの

楠が生い茂っている。

九州から攻め上がってきた足利尊氏を迎え撃つために、湊川へ

向かう楠木正成が後事を託す嫡子 正行(まさつら)と別れを

惜しんだ西国街道の”桜井の駅”跡である。

Photosakuraiekiato7

Photosakuraiekiato1

                                                                                                                     

楠木正成。

この人を知らない人はいないと思うが、もともとは河内の土豪。

ひょんな事から後醍醐天皇と出会い、ぽんと肩をたたかれた

ために意気に感じ、後醍醐のために奮戦することになってしまう。

こんなことがなければただの大阪(当時この地名はないが)の

河内のおっさんとして、歴史の中に埋もれていたであろうのに。

時は1334年、この楠木正成、足利高氏(尊氏)、新田義貞など

の力を借り、後醍醐は建武の親政を実現させる。

ところが始まってみると、天皇親政とはいえ、やってることは

公家の好き勝手。世の武士たちの不満を結集させて鎌倉幕府を

倒したのに、功績のあった武士たちに報いるところがあまりにも

少なすぎた。また新たな不満が世にはびこりだす。

これに乗っかったのが足利尊氏、反逆の旗を揚げる。

しかし、いったんは楠木正成、新田義貞、奥州の北畠親房、顕家

父子などの奮戦で尊氏は九州まで追い落とされる。

しかし全国の武士たちの期待を一身に背負った尊氏はすぐに

勢いを盛り返し、大軍を率いて京へ向かって攻め寄せてくる。

これに対し楠木正成が後醍醐に示した戦略は、京は攻めるに易く、

守るに難い土地である、ここはいったん京をあけわたし、

比叡山に登り、改めて京を攻めるというもの。

野武士、土豪などが得意とするゲリラ戦術である。

多勢に無勢を考えればこのとき取り得る最善の策であっただろう。

しかし、この時公家たちが一斉に声をあげる。

「一戦もせずに逃げ出すとはどういうことだ」

「天皇の権威にかかわる」

「尊氏がそんなに怖いか」

「臆病者」

そんな声に押しきられるように楠木正成は、尊氏迎撃の命を

受けて後醍醐天皇の御前を退出する。

「お上はこの正成に死ねと言われるようだ」

討死を覚悟した正成は京から西国街道を西へ向かう。

そしてここ桜井の宿で数え年11歳の嫡子正行にあとを託す。

Photosakuraiekiato21

                                   

      

                                  

「わいはあの尊氏をしばき倒しに行くけど、多分やられてまうから

おまえは家帰って力をつけてあの天皇はんを助けたれ」

同行をせがむ正行にこう諭した後、兵庫へ向かいご存知

”湊川の合戦”で弟正季と共に戦死する。

この戦死直前に正季と語った言葉、

「七回生まれ変わって朝敵をやっつけたる、

河内のおっさんをなめたらあかんどー」

これが”7生報国”という言葉を生み、太平洋戦争でも

日本軍の合言葉になってしまうという悲しい歴史につながる。

死をも顧みず”忠”を貫いた正成には感動しますが、

これを戦意高揚の道具に使ってはいけませんよね。

ちなみにこの正行も正成と同じように南朝への”忠”を貫き

”四条畷の合戦”で戦死するし、その後も、楠木家の一族郎党は

すべて南朝方として戦いつづけていく。

太平記の名場面でした。

« 野洲弥生の森歴史公園 | トップページ | 丹波篠山 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

歴史オタクの私には、この手の記事は大歓迎。
楠木正成はんはある時は英雄、またあるときは朝敵と、時の権力が入れ替わるごとに評価が相反します。ある意味マイナーな武将のイメージです。
今読んでいる本が丁度が世阿弥の伝記で足利幕府が背景なんです。
私が最も嫌いな時代なんですが。
質実剛健とは程遠いお歯黒の匂いプンプンする幕府。
金閣、銀閣という侘びの傑作を生んだ文化絢爛のとはいえ、好きになれない時代です。

そうですね、室町幕府は他の幕府に比べて、最も求心力の弱い幕府ですものね。
私も太平記以外はあんまり興味は持っていないんですが、その中でも尊氏の人間的な面白さと、実は天皇を狙っていたのではないかといわれる三代義満の謎の多さにはチョットひかれています。
仕事柄、能の研究ですか?観阿弥、世阿弥は私も興味あります。その本よかったら紹介してください。ついでに出雲阿国について書かれたものもありませんか?

う~~ん、こりゃもう、講釈師になったほうがええ様な気がする^^。

Dさん
自己満足記事に投稿ありがとうございます。
まぁ、そない言わんとたまにはつきおうてください。

<まぁ、そない言わんとたまにはつきおうてください。

どこまででもOKですよ^^;

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/218659/40230917

この記事へのトラックバック一覧です: 桜井の別れ:

« 野洲弥生の森歴史公園 | トップページ | 丹波篠山 »

2014年10月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ