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2008年9月

天王山と水無瀬渓谷とビールマラニック

歴史と渓谷美と出来立てビールを堪能してきました。

JR山崎駅に集合。

Photo

 

駅からすぐの登り口

ここから急坂が続く。

                

                                        

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宝積寺

ここを過ぎれば

山道へ入る。

                            

ここ山崎はご存知のように羽柴秀吉と明智光秀が戦った所。

時は1582年。

秀吉は6月2日におこった本能寺の変を3日の深夜に知り、

相対していた毛利勢と急遽、和睦をはかる。

水攻めにして落城寸前の備中高松城の城主清水宗治に

「おみゃあが腹切りゃ城内の奴ら、助けたるさけぇ、

死んでちょぉ。」と言って開城させる、これが6月4日。

6日の夕方には毛利勢の撤退を確認して大急ぎで引き上げに

かかる。その日のうちに12キロ移動。

さらに翌7日は姫路までの80キロを走る。

100キロマラソンを一人で走るのとは違い、何万人という

軍勢の移動速度としては信じられないくらいの速さである。

Photo_3 この登山道にはこのような

陶板の説明が各所にある。

これは中国大返しの図

              

              

主君の仇討ちという大義名分の下、天下取りに向かう行軍である

から、いやがうえにも士気は上がるだろうし、秀吉のことだから、

その辺を思いっきり鼓舞したに違いない。

さすがに将兵たちは疲労困憊。翌8日は姫路にとどまる。

9日は大阪摂津を目指して居城であった姫路を出陣。

10日は尼崎。これを聞いた光秀はびっくり仰天。

柴田勝家にしろ、滝川一益にしろ各地の最前線にいた織田家の

重臣たちが大軍を率いて帰ってくるまでには1ヶ月はかかると

ふんでいたのに、200キロもかなたの一番遠くにいた秀吉が

たった9日で戻ってきたのである。光秀は軍勢を集めようとして

親戚である細川幽斎、忠興父子、筒井順慶、本来配下である

摂津の諸大名、中川清秀、高山右近。池田恒興らに声をかけるが

誰も参集しない。

逆に摂津衆は尼崎の秀吉のところへ駆けつけている始末。

信長の次男、信孝、さらに織田家重臣の一人、丹羽長秀も秀吉に

合流。秀吉軍は4万人にふくれあがる。

一方明智勢は直属の軍勢の1万6千あまり。

人数の不利を補う為に光秀は山と山が迫ったいわゆる隘路を

戦場に選ぶ。大軍勢が展開できない為、少数でも戦える。

大阪から京都へ向かう西国街道でこの条件に当てはまるのが山崎。

光秀はこの一番狭いところに陣を敷いて、待ちうける。

筒井順慶は洞ヶ峠まで出てきたが、日和見の構え。

これがどっちにもつかず様子を見る時のたとえ、

"洞ヶ峠を決め込む"の語源。

いよいよ戦機が熟す。少しでも高いところへ位置しようと

すぐそばの山の取り合いから始まった。この山が天王山。

今度の阪神戦がペナントレースの天王山だという時の天王山が

ここ。この合戦はたとえ話の語源が多い。

この天王山をめぐる戦いも秀吉が先を越す。

Photo_4

この山にある松に旗を立てて

士気を鼓舞する。

これが旗立ての松。

                      

いよいよ先鋒がぶつかる。

Photo_5

秀吉側の先鋒は中川、高山らの

摂津の大名たちだ。

主君の仇討ちということで

士気は高い。                       

一方の明智勢はいっこうにふるわない。秀吉が押す。

明智勢が押されたことによって、秀吉の大軍が展開できるように

なり、明智勢の横、または後ろへまわり込みだす。

これが合戦開始から1時間後ぐらい。

こうなれば多勢に無勢の数量差がきいてくる。

明智勢も奮戦するが3時間後には敗走しだす。

戦いの趨勢は決まった。

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光秀は居城亀山に戻ろうとして

山科の小栗栖で落武者狩りの

土民の竹槍で命を落とす。

                               

三日天下ならぬ11日天下でした。

                                           

ここ天王山には幕末の歴史にまつわる史跡もある。

17

真木和泉以下十七烈士の墓

1863年天皇や公卿たちを

牛耳って、尊王攘夷を強く

推し進めていた長州藩

であったが、公武合体派の会津藩、薩摩藩が手を組み、

8月の政変をおこす。

これにより長州藩は京都から追い出され、政治力を失ってしまう。

これを何とかしようと京都に潜伏し集まって謀議を凝らしている

ところを新撰組に襲われたのが有名な池田屋事件。

この後、長州の過激派、久坂玄瑞、来島又兵衛、福原越後らが

率いる長州軍が大軍で上京する。

この時真木和泉も久坂に従っていた。

こうして御所を守る幕府軍と京都奪回を目指す長州軍が壮絶な

戦いを演ずる。これが蛤御門の変。もっとも激しい戦いの

あったのが御所の蛤御門だったので、こう呼ばれている。

またこの門は禁門とも呼ばれていたので禁門の変ともいう。

しかしこの戦いは長州の大敗に終わる。

久坂玄瑞、来島又兵衛は討死、全軍長州へ向けて敗走する。

この時、本隊を逃がす為にここ天王山で殿軍をつとめたのが、

この真木和泉守保臣以下17名だった。

そしてこの天王山で全員自刃する。

この真木保臣は元々は久留米の神官で福岡の平野国臣らとともに

実際に幕末に志士として活躍した維新に向けて実務を担った

西郷、坂本、木戸らの世代をを啓蒙した、思想的先覚者という

位置付けになると思う。

早くから長州や薩摩などで尊王攘夷の機運を作っていった

人たちでその言動にはかなり過激な逸話が数多く見られる。

しかしここまで盛上った尊皇攘夷が敗れ、長州軍本隊を

見送った後、天王山で自刃する時の彼らの絶望感は察して

余りある。西郷や坂本に比べれば名は通っていないが、彼らも又

現代日本の礎の一人ではある。

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次に出てくるのは酒解神社。

祭神は、酒解大神、

つまり大山積神(おおやまつみのかみ)。

それと素盞嗚尊(すさのおのみこと)が

祀ってあります。

大山積神は、大阪北摂地区を支配していた豪族で、三島溝咋耳

(みしまみぞくいのみみ)。

愛媛県大三島にある大山祇神社にも祀られている。

大山積神は、日の本で初めて酒を作った神様といわれている。

酒解神社を抜け少し行けばもう天王山山頂。標高は270m。

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有名なわりには低い山でした。

天王山を越えれば気持ちよい

トレイルが続く。

だいぶ涼しくなってきた

山の空気の中、木々の間から時々京都の町並みが見える。

前三人で気持ちよく飛ばしていると、後続組と

少し間が開いたときに後組が脇道へそれてしまい、合流するのに

少し時間がかかってしまった。さっさと行き過ぎ、お前が悪いと

ブーブー、すんません。

少し行くと舗装路へ出て乗願寺へ。この辺は道が不安なところ。

少し道を探してうろうろ、近くの農家の方に聞いて確認して進む。

何とか、柳谷観音に到着。さらに舗装路が続き、ゴルフ場前を通り

ギロバチ峠への山道に入る。ここからも気持ちのよいトレイル。

しかし少しけわしいのと、石が多いので捻挫しかけのメンバーも。

やがて水無瀬渓谷に入り、乙女の滝を発見。

Photo_9

か細い滝なのでこう呼ばれて

いるらしいが、近頃の乙女は、

あんまりか細くないけど・・・。

若山神社を抜け街中を

もう少し行くと高槻別院湯めみの里へ到着。

やれやれ、予定時刻よりかなり遅れたのでバス移動は

無理なようだ。

さっぱりしてからタクシーでサントリー長岡ビール工場へ向かう。

きれいな工場だ、それに何より案内してくれる女性ももきれいだ。

プレミアムモルツの製造工程を説明してくれたが、いろいろな

こだわりがあり、興味深く拝見できた。

Photo_11

誰だ、横で並んでいるのは。

                       

                      

                          

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最後はお待ちかね試飲タイム。

香り高い出来立てのプレミアム

モルツを3杯いただく。

うま~い、幸せ。

                                  

シャトルバスで長岡京まで送ってもらい、大阪まで帰って、一杯。

工場と風呂の立地条件もあり、かなり無理な行程でした。

申し訳ございません。

これを教訓に今度はウィスキー工場だ、皆さんよろしく。

ちょっとアウトドア

気候も良くなってきたので、BBQでもという事で日帰りで遊べるところを

物色する。どうせなら行った事の無いところ、安いところ、開放的な

ところ、風呂が近いところ、いろいろ考えていると、なかなか

見つからない。少し遠いが山崎の少し北に宍粟市波賀町という所が

あり、ここに”フォレストステイション波賀”という施設がある。

ようし、行ってみよう。道具を車に放り込み、いざ出発。

肉の仕入れはご愛用の㈱山垣畜産。この店は牧場が経営していて、

牧草からこだわったうまい肉を売っている。

Photo_5

黒毛和牛だが、もちろん金賞を

取ったとかいって目の飛び出る

ような値段の肉ではないし、

普通の肉が、普通の値段で、

普通にうまいという感じ。

牧場と直結しているから、仕入先によって、味がばらつくことも

ないし、近頃多いやわらかいだけで味も素っ気も無い肉とは

全然違う。部位によってはもちろんかたい肉もあるが、

しっかり牛肉の味がしておいしい。

牛自体のレベルが高いんだと思う。うまい牛は脂身までおいしい

ですから。六甲北有料道路の吉尾ランプのすぐそばにあり、

神戸から北方面へ遊びに行く時は行きがけに寄ることができる。

朝八時半から開いてます。(西宮北口にも店あり)。

ここの駐車場では野菜の直売をやっているし、おまけに

向かいにはキムチ屋さんがあり、これ幸いとゲット。

給油、買物などでうろうろしながら2時間ほどで到着。

Photo_2

なかなかきれいな施設、

オートキャンプ場、

コテージ村やメイプル

プラザと呼ばれる

宿泊施設等が東山という

山のふもとに広がる。

Photo_3

ここは東山名水という良質の

冷鉱泉が湧き出し、有料だが

たくさんの人がこの水を

汲みに来ている。

またこの水を利用しての

入浴施設も完備しており、一般は600円で利用できる。

メイプルプラザの受付で聞くと、コテージの方の管理棟で

案内するとのことなので、少し登った所の管理棟で手続き。

Photo_4

道具も材料も自前なので

一人200円の入場料のみ。

少し先客の若い連中4、5人は

手ぶらで来ている様だ。

ここは材料から、道具から

何でも貸してくれるみたい。

しかし全部きっちりお金は取られるようですが・・・。

バーベキュー台みたいなのもあるが、場内を流れる小川の

そばの芝生の広場にセットして開始。

Photo

天気もいいし、肉もうまいし、

直売で買ったしし唐、しいたけも

当り。キムチもあまり辛くなく

いい味している。

ただ米を炊いている時に火が

消えているのに気がつかず、ちょっと失敗。

表面びちゃびちゃ、中にわずかに芯がある感じ。

食べれないことも無いが・・・、残念。

ビールが飲めないからご飯が楽しみだったのに。

腹いっぱいになってキャッチボールでもしていると、そろそろ

冷やっとしてくる。

2

そろそろ帰ろう。

場内の温泉をいただいて

帰路に着く。

ここ波賀にはかなり高い山

の上に波賀城跡があり

ここからの展望はすばらしいらしい。

行く時間は無かったが、帰ってから波賀城について調べてみた。

ここ波賀は11世紀初め頃までに伯可荘として石清水八幡宮の

荘園になっていて、その伯可荘の有力者に波賀氏がいたようだ。

そして1192年、鎌倉幕府が興る。(いい国作ろう鎌倉幕府、

覚えてますか?) 荘園の解体が進む中で、13世紀中ごろ、

幕府の御家人、中村氏が地頭として埼玉県の秩父から、

この地へやってくる。

初代光時から戦国時代末期の吉宗まで、中村氏が

この波賀城の城主だったということです。

鎌倉における地頭から始まり、鎌倉時代には、播州では当然

赤松氏の勢力下にあっただろうし、室町、戦国のややこしい

時代の中を生き抜いていったとは、なかなかしたたかな一族

だったんだなぁ。

けど波賀町は他にもいろいろ見所あって、また何回か

来て見たい所でした。

阿保親王塚

今月は走込月間ではあるが今週は少し距離を落とす週。

とはいえそろそろ山も恋しくなってきたのでロードと山行を

組み合わせてみた。

家から芦屋、西宮を抜け、宝塚まで舗装路を走る。(約15K)

宝塚から縦走路へ入り一軒茶屋から岡本へ山を下る。(約21K)

Photo

山手幹線沿い、阿保親王塚古墳。                               

                                   

                                  

                                                                                                    

                                                                         

しかし、まだまだ暑いですね。風もあまり無く、宝塚へ行くまでに

かなり消耗してしまう。

Photo_2

今日はここが入口。

                                  

                                                                         

 

                                     

山を登りだせば涼しくなるだろうと思いながら進むがいっこうに

気温は下がりません。昼近くなって逆に上がってくる感じ。

宝塚から一軒茶屋まで二時間くらいのつもりが二時間半近く

かかってしまった。足にもだいぶきているようだ。

茶屋で一服しながらハイドレにも補給。

登りなれた道を今日は下る。

さすがに気持ちよく下るというようには飛ばせない。

ひざは笑ってはいないがニヤニヤぐらいしているようだ。

何とか家まで到着。思ったより厳しかった。

ところでこれからはランニングコースの近くや道端にある神社、

仏閣、史跡その他、歴史をうかがい知る様なもの何でも見つけて

書いてみようかと思う。

今回は芦屋市翠ヶ丘にある阿保親王塚古墳。

この古墳は結構わかり難い所にあったのだが最近になって

開通しつつある山手幹線がすぐそばを通ったので、この道を

走っていると見えるようになった。

まずは読み方から、アホな親王のお墓ではありません。

あぼしんのうと読みます。誰やそれという方には、

阿保さんは知らなくても在原業平といえばご存知の方も多いはず。

六歌仙とか三十六歌仙といわれて有名な方で、古今和歌集には、

三十首が入集している、お歌の上手なおっさん。

「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし」

また伊勢物語の主人公だとも言われている。

この在原業平のおやじが阿保親王。

もっというと阿保親王のじいさんが平安京へ遷都を行った

桓武天皇。朝廷の力が膨張していく時代ですね。

空海、最澄が活躍するのも、坂上田村麻呂が命ぜられて蝦夷を

北へ追い上げて行ったのもこの頃。

桓武の次が平城、その次が嵯峨。阿保さんの父上が平城天皇。

つまり桓武からいえば、直系の孫なのですが、この後の皇統が

嵯峨天皇の方へ行ってしまった為に、業平の世代には臣籍に降下

してしまったというわけ。

この平城と嵯峨の権力争いは激しいものがあった様で、結局、

嵯峨側が兵を動かし、平城が出家して決着する。

この時、平城の愛妾藤原薬子、その兄の藤原仲成らが処罰される。

このためこの政変は「薬子の変」と呼ばれている。

阿保親王もこの変に連座して左遷の憂き目に会うが嵯峨天皇が

宮廷内の権力を固めて行く中で、平城が亡くなった後許されて

入京を許される。

そしてかなり重要な地位を歴任していくが、桓武直系の孫、

平城の第一皇子という立場はかなり微妙な物があったようで、

彼の動向は、彼の有能さもあり常に注目の的であったらしい。

後、恒貞親王の皇太子問題で策謀を持ちかけられるが、

これに与せず密告する。このためこの策謀は潰える。

しかし、彼はこの承和の変の三ヵ月後に急死する事になる。

このあたりも何かきな臭いにおいを感じる。

なんといっても平安時代のこのての事件は列挙に暇が無いし、

暗く陰湿なものをいつも感じる。

皇統の争いは暗殺の歴史といっても過言ではない。

阿保親王もこれに翻弄され続けた一生だったに違いない。

死後に一品の品位を追贈されている。

ところでこの阿保親王塚古墳、長州の毛利氏は阿保親王から

出ているとのことで、江戸時代に修復工事を行ったりしている。

現存する燈籠も毛利氏が贈った4対のうちの3対で1対は

阪神大震災で壊れたとか。

また芦屋には親王塚町、業平町、業平橋などこの父子に

まつわる地名が数多くある。

彼らがこのあたりに住んでいたという確定はできないらしいが

当時このあたりが朝廷の直轄領であったことは確からしく、

屋敷を持っていた可能性は高いらしい。

ただ最後にこんなことを書くのもなんだが、

この阿保親王塚古墳は、建造された時代とかを検証すると

どうやら阿保親王の墓ではないようだ。

ここに限らず、宮内庁の定めているものと実際の調査に

基づくものとの食い違いは全国津々浦々にあるが、

そろそろ何とかしていくことはできないのでしょうかねぇ。

早朝 森林管理道を走る

このところ、アスファルトの道ばかり走っていたので山道が恋しくて

早朝から保久良山を登る。岡本、本山に住む人たちの毎日登山の

目標となっているところだ。

かなりお年を召した方たちが元気に登っていく。

「おはようございます」といいながら、すれ違いまた追い越しながら、

登っていく。しかし5分も走れば山道に入ることができることって、

すごく幸せなことなんだなぁとつくづく思う。

保久良神社を過ぎ、金鳥山を目指していると平日なのに

結構しっかりした用意で登っていくパーティがある。

どこまで行くのかな。走って追い越していくと、元気やなぁとの一言。

ハイ元気ですと心の中で言いながら、走る。

金鳥山を越えると走れる道が続く。

すぐに風吹岩だ。ちょっと一服。生駒の山なみから朝日が昇っている。

大阪湾から阪神間の町並みが朝日に照らされ美しく輝いている。

空を見上げれば雲が高い。うろこ雲が朝焼けでオレンジ色に

輝いている。秋の空だぁ。

少し行くと水平道への入口がある。

ここからが気持ちよく走れる大好きな道だ。ぶっ飛ばす。

途中からまだ通ったことのない道を走ってみる。

ふーん、ここへ出てくるのか、と頭の中でまたひとつ地図がつながる。

六甲はホントいろんな道があるねぇ。

八幡谷へ降りてきた。

2週ほどあくと長いこと山へ来ていないように思ってしまう。

やっぱり山は気持ちが良いね。

朝の楽しいひと時でした。

走り込み

9月からは走り込み月間の始まり、距離の目標は350キロ。

第1週は平日15キロのペース走とjog,

休日は武庫川までLSD32キロ、合計74キロ。

第2週も平日は15キロPRとjogを一日おき、土曜日は午前中に

LSD25キロ。晩方からリレーフォーライフの会場の芦屋まで

4キロjog、リレーに30分だけ参加して5.5キロ、計38.5キロ。

日曜日は、万博記念公園で駅伝カーニバル大阪大会に参加。

jog3キロの後、ロングの部の第2走の5キロを走る。計8キロ。

第2週の合計は91.5キロ。

第2週までは順調に走れている。 この調子だ。

ロードばっかり走っていると山の虫がムズムズ。

山道が走りたいなぁ。来週は平日に近所の水平道へでも行こう。

ところで土曜日に行ったリレーフォーライフ芦屋。

リレーフォーライフとは・・・。

1985年にアメリカのシアトルでマラソン好きな医師ががんと戦う

ためのイベントとして競技場を24時間まわり続ける中、

彼の友人たちが30分だけ医師と一緒に走るごとに25ドルずつ

寄付をした。この時は一日で27,000ドル集まった。

翌年から参加者を増やすためにリレー形式ををとり、がん患者や

その家族、友人たちが数人ずつでチームを作り24時間

歩き続けることで参加者の間にがんと戦う連帯感が生まれた。

これがどんどん広まり、全米4000ヶ所、世界では20カ国で

行われるようになった。

これは単なる資金集めのイベントではなく地域、社会全体でがんと

戦う連帯感をはぐくむ場として大きく広がっている。

日本でも今年も全国十数か所で開かれている。

芦屋ではこの13日、14日に開かれた。

夜から少しだけ参加させてもらったが、会場では

サバイバーズラップ・・・がんと戦う人たちの勇気をたたえ、

              がん患者やがんを克服した人たちが

              歩きつづけること。

が行われており、ルミナリエが幻想的な光をともしていた。

Photo Photo_2

               

                  

                

この小さな灯篭は、がんで亡くなった人たちを偲び一人一人の

名前を記した紙袋の中にろうそくの火がともされている。

陸上競技のトラックを利用して歩くコースに並べられている。

このトラックのもうひとつ外側にランニングでリレーを行っている

コースがある。一周6百数十メートル、ここを30分、9周だけ

走らせてもらった。

興味のある方はhttp://ashiya.rfl-jp.net/top.php

あくる日は駅伝カーニバル大阪。

楽ランからも数チームが出場。

ロングの8K,5K,3K,5Kの21K

ショートの5K,3K,1K,3Kの12K

にそれぞれ参加。

Photo_3

スタート前の仮装チームの紹介

                                  

                                   

                                    

しかし、なんしか暑い。

去年は暑さで熱中症などで倒れる人が続出、救急車が

走り回っていたが、今年もそれに劣らずの暑さだ。

戻ってくる時間が遅いと余計な心配をしてしまう。

どっかでぶっ倒れてんのちゃうか。

姿が見えるとほっとする。

リレーフォーライフで夜どおし起きてたままでこれに参加

しているメンバーもいる。ご苦労さん。

体には気をつけてチョ。

幸い事故もなく、みんなたのしく走りゴールした後は

京橋でアフター、なかなかうまい中華。

有志でカラオケ、その後は奈良から来ていて今日は

お泊りのSちゃんとBさんとで仕上げ。

今日も良く遊びました。

そろそろ

もう九月ですね。

秋にフルのレースを設定している身としては、そろそろ

まじめに走らないと・・・。

先週は雨の中にもかかわらず、Kりん夫婦、Bさんと尼崎から

芦屋、甲子園あたりをうろうろ、今週は単独行で芦屋から海沿いに

武庫川へ出て北上、171号線に沿って戻ってくる。

先週は28キロ、雨の中だったので結構走れたが、今週は

ピーカンの中、32キロが暑くて暑くて、全然走れない。

夏の間にかなり山を走り回っていたが、やっぱりそれと

これとは違うみたいですね。

まぁ、六甲縦走45キロとしても、心拍数はかなり上がっているが

3分の1ほどは歩いているわけだし、下りを走っているにしても

自分で推進力を作っているわけでもないし、全然別世界の話と

したほうが良いようですね。

まぁ涼しくなるにしたがって、調子も上がっていくだろうが、

しっかり走り込まないと・・・。

平日の早朝錬も気合いいれよう。

ところで・・・

全然話は違いますが、夏のキャンプでおしゃかになったと思われた

コールマンの2バーナーを、だめもとで近くのスポーツDEPOへ

修理に出してみると、わずかな部品代だけで直ってきた。

2

さすがコールマンというべきか。

これはラッキー、まだまだ

頑張ってくれそうだ。

気を良くして、磨き上げる。

するとサビサビになっている部分が気になってくる。

この際と思い、耐熱の塗料を買ってきて塗ってやった。

2_2

これでまだしばらくいけるかな。

ほんとに一生もんになりそうだ。

                                  

                                  

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