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天王山と水無瀬渓谷とビールマラニック

歴史と渓谷美と出来立てビールを堪能してきました。

JR山崎駅に集合。

Photo

 

駅からすぐの登り口

ここから急坂が続く。

                

                                        

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宝積寺

ここを過ぎれば

山道へ入る。

                            

ここ山崎はご存知のように羽柴秀吉と明智光秀が戦った所。

時は1582年。

秀吉は6月2日におこった本能寺の変を3日の深夜に知り、

相対していた毛利勢と急遽、和睦をはかる。

水攻めにして落城寸前の備中高松城の城主清水宗治に

「おみゃあが腹切りゃ城内の奴ら、助けたるさけぇ、

死んでちょぉ。」と言って開城させる、これが6月4日。

6日の夕方には毛利勢の撤退を確認して大急ぎで引き上げに

かかる。その日のうちに12キロ移動。

さらに翌7日は姫路までの80キロを走る。

100キロマラソンを一人で走るのとは違い、何万人という

軍勢の移動速度としては信じられないくらいの速さである。

Photo_3 この登山道にはこのような

陶板の説明が各所にある。

これは中国大返しの図

              

              

主君の仇討ちという大義名分の下、天下取りに向かう行軍である

から、いやがうえにも士気は上がるだろうし、秀吉のことだから、

その辺を思いっきり鼓舞したに違いない。

さすがに将兵たちは疲労困憊。翌8日は姫路にとどまる。

9日は大阪摂津を目指して居城であった姫路を出陣。

10日は尼崎。これを聞いた光秀はびっくり仰天。

柴田勝家にしろ、滝川一益にしろ各地の最前線にいた織田家の

重臣たちが大軍を率いて帰ってくるまでには1ヶ月はかかると

ふんでいたのに、200キロもかなたの一番遠くにいた秀吉が

たった9日で戻ってきたのである。光秀は軍勢を集めようとして

親戚である細川幽斎、忠興父子、筒井順慶、本来配下である

摂津の諸大名、中川清秀、高山右近。池田恒興らに声をかけるが

誰も参集しない。

逆に摂津衆は尼崎の秀吉のところへ駆けつけている始末。

信長の次男、信孝、さらに織田家重臣の一人、丹羽長秀も秀吉に

合流。秀吉軍は4万人にふくれあがる。

一方明智勢は直属の軍勢の1万6千あまり。

人数の不利を補う為に光秀は山と山が迫ったいわゆる隘路を

戦場に選ぶ。大軍勢が展開できない為、少数でも戦える。

大阪から京都へ向かう西国街道でこの条件に当てはまるのが山崎。

光秀はこの一番狭いところに陣を敷いて、待ちうける。

筒井順慶は洞ヶ峠まで出てきたが、日和見の構え。

これがどっちにもつかず様子を見る時のたとえ、

"洞ヶ峠を決め込む"の語源。

いよいよ戦機が熟す。少しでも高いところへ位置しようと

すぐそばの山の取り合いから始まった。この山が天王山。

今度の阪神戦がペナントレースの天王山だという時の天王山が

ここ。この合戦はたとえ話の語源が多い。

この天王山をめぐる戦いも秀吉が先を越す。

Photo_4

この山にある松に旗を立てて

士気を鼓舞する。

これが旗立ての松。

                      

いよいよ先鋒がぶつかる。

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秀吉側の先鋒は中川、高山らの

摂津の大名たちだ。

主君の仇討ちということで

士気は高い。                       

一方の明智勢はいっこうにふるわない。秀吉が押す。

明智勢が押されたことによって、秀吉の大軍が展開できるように

なり、明智勢の横、または後ろへまわり込みだす。

これが合戦開始から1時間後ぐらい。

こうなれば多勢に無勢の数量差がきいてくる。

明智勢も奮戦するが3時間後には敗走しだす。

戦いの趨勢は決まった。

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光秀は居城亀山に戻ろうとして

山科の小栗栖で落武者狩りの

土民の竹槍で命を落とす。

                               

三日天下ならぬ11日天下でした。

                                           

ここ天王山には幕末の歴史にまつわる史跡もある。

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真木和泉以下十七烈士の墓

1863年天皇や公卿たちを

牛耳って、尊王攘夷を強く

推し進めていた長州藩

であったが、公武合体派の会津藩、薩摩藩が手を組み、

8月の政変をおこす。

これにより長州藩は京都から追い出され、政治力を失ってしまう。

これを何とかしようと京都に潜伏し集まって謀議を凝らしている

ところを新撰組に襲われたのが有名な池田屋事件。

この後、長州の過激派、久坂玄瑞、来島又兵衛、福原越後らが

率いる長州軍が大軍で上京する。

この時真木和泉も久坂に従っていた。

こうして御所を守る幕府軍と京都奪回を目指す長州軍が壮絶な

戦いを演ずる。これが蛤御門の変。もっとも激しい戦いの

あったのが御所の蛤御門だったので、こう呼ばれている。

またこの門は禁門とも呼ばれていたので禁門の変ともいう。

しかしこの戦いは長州の大敗に終わる。

久坂玄瑞、来島又兵衛は討死、全軍長州へ向けて敗走する。

この時、本隊を逃がす為にここ天王山で殿軍をつとめたのが、

この真木和泉守保臣以下17名だった。

そしてこの天王山で全員自刃する。

この真木保臣は元々は久留米の神官で福岡の平野国臣らとともに

実際に幕末に志士として活躍した維新に向けて実務を担った

西郷、坂本、木戸らの世代をを啓蒙した、思想的先覚者という

位置付けになると思う。

早くから長州や薩摩などで尊王攘夷の機運を作っていった

人たちでその言動にはかなり過激な逸話が数多く見られる。

しかしここまで盛上った尊皇攘夷が敗れ、長州軍本隊を

見送った後、天王山で自刃する時の彼らの絶望感は察して

余りある。西郷や坂本に比べれば名は通っていないが、彼らも又

現代日本の礎の一人ではある。

Photo_7

次に出てくるのは酒解神社。

祭神は、酒解大神、

つまり大山積神(おおやまつみのかみ)。

それと素盞嗚尊(すさのおのみこと)が

祀ってあります。

大山積神は、大阪北摂地区を支配していた豪族で、三島溝咋耳

(みしまみぞくいのみみ)。

愛媛県大三島にある大山祇神社にも祀られている。

大山積神は、日の本で初めて酒を作った神様といわれている。

酒解神社を抜け少し行けばもう天王山山頂。標高は270m。

Photo_8

有名なわりには低い山でした。

天王山を越えれば気持ちよい

トレイルが続く。

だいぶ涼しくなってきた

山の空気の中、木々の間から時々京都の町並みが見える。

前三人で気持ちよく飛ばしていると、後続組と

少し間が開いたときに後組が脇道へそれてしまい、合流するのに

少し時間がかかってしまった。さっさと行き過ぎ、お前が悪いと

ブーブー、すんません。

少し行くと舗装路へ出て乗願寺へ。この辺は道が不安なところ。

少し道を探してうろうろ、近くの農家の方に聞いて確認して進む。

何とか、柳谷観音に到着。さらに舗装路が続き、ゴルフ場前を通り

ギロバチ峠への山道に入る。ここからも気持ちのよいトレイル。

しかし少しけわしいのと、石が多いので捻挫しかけのメンバーも。

やがて水無瀬渓谷に入り、乙女の滝を発見。

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か細い滝なのでこう呼ばれて

いるらしいが、近頃の乙女は、

あんまりか細くないけど・・・。

若山神社を抜け街中を

もう少し行くと高槻別院湯めみの里へ到着。

やれやれ、予定時刻よりかなり遅れたのでバス移動は

無理なようだ。

さっぱりしてからタクシーでサントリー長岡ビール工場へ向かう。

きれいな工場だ、それに何より案内してくれる女性ももきれいだ。

プレミアムモルツの製造工程を説明してくれたが、いろいろな

こだわりがあり、興味深く拝見できた。

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誰だ、横で並んでいるのは。

                       

                      

                          

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最後はお待ちかね試飲タイム。

香り高い出来立てのプレミアム

モルツを3杯いただく。

うま~い、幸せ。

                                  

シャトルバスで長岡京まで送ってもらい、大阪まで帰って、一杯。

工場と風呂の立地条件もあり、かなり無理な行程でした。

申し訳ございません。

これを教訓に今度はウィスキー工場だ、皆さんよろしく。

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コメント

いつもながら、ジャンさんの歴史の知識には驚かされます。
特に今日の記事は気合充分でしたね!
まるで講談を聞いているような臨場感あふれる文脈で、楽しく読ませていただきました。
今回の反省を踏まえた次回企画には必ず参加しますので宜しくです^^

たっくん
知識といわれるとおこがましいですが、私の頭に入っているのはたとえば秀吉についてであればいろんな作家が書いた秀吉像なわけで、大きな流れぐらいはわかりますが、これが歴史の知識といえるかどうか。いざ記事を書くときは、本で史実を調べてみたり、年号や人の名まで覚えているわけではありませんのでネットでいろんなページを見たりして書くわけですが、実はこの作業が結構面白くて、時には復習であったり、時には新たな発見があったり、なかなか楽しんでいます。つまり自己満足ブログですな。
講談のように楽しんでいただければこんなうれしいことはありません。次、ウィスキーの時は何を書こうかな。

この辺の歴史は私の最も得意とするところ。
ダメだしポイントを探ろうと思いましたが完璧でした。
ただ俗説では本能寺の変も秀吉陰謀説がありますよね。
知っていたからこそ出来た中国返し。
こっちの方が納得いくかな~、とは私個人の感想です。何処の世界にも闇が暗躍しているようで、これがあるから歴史小説家が成り立つわけです。
次回のマラニックは参加しますから~。

tacocoさん
秀吉陰謀説、確かに信憑性ありますね。
あっけらかんと明るい太陽を演出する秀吉ですが、知れば知るほどこの男の恐ろしさは、底がありません。こいつだったらやりそうと思うのは、私も同じです。もうひとつ、光秀=天海説、これも夢かき立ててくれる興味深い説です。
歴史にifはないといいますが、これを考えるほど面白いことは無いですから。

お初ですが、コメント入れさせていただきました。
天王山ビールマラニックお疲れ様です。
ラン後のビールがおいしそうです。
ご近所ですので
また時々お邪魔させていただきます。

motoさん、はじめまして
1年以上前の記事だったのでちょっとびっくりしました。
ビールマラニックは他にも行くんですが、ここのプレミアムモルツの出来立ては最高に美味しいですよ。
京都にお住まいのようですね、是非行ってみて下さい。

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