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阿保親王塚

今月は走込月間ではあるが今週は少し距離を落とす週。

とはいえそろそろ山も恋しくなってきたのでロードと山行を

組み合わせてみた。

家から芦屋、西宮を抜け、宝塚まで舗装路を走る。(約15K)

宝塚から縦走路へ入り一軒茶屋から岡本へ山を下る。(約21K)

Photo

山手幹線沿い、阿保親王塚古墳。                               

                                   

                                  

                                                                                                    

                                                                         

しかし、まだまだ暑いですね。風もあまり無く、宝塚へ行くまでに

かなり消耗してしまう。

Photo_2

今日はここが入口。

                                  

                                                                         

 

                                     

山を登りだせば涼しくなるだろうと思いながら進むがいっこうに

気温は下がりません。昼近くなって逆に上がってくる感じ。

宝塚から一軒茶屋まで二時間くらいのつもりが二時間半近く

かかってしまった。足にもだいぶきているようだ。

茶屋で一服しながらハイドレにも補給。

登りなれた道を今日は下る。

さすがに気持ちよく下るというようには飛ばせない。

ひざは笑ってはいないがニヤニヤぐらいしているようだ。

何とか家まで到着。思ったより厳しかった。

ところでこれからはランニングコースの近くや道端にある神社、

仏閣、史跡その他、歴史をうかがい知る様なもの何でも見つけて

書いてみようかと思う。

今回は芦屋市翠ヶ丘にある阿保親王塚古墳。

この古墳は結構わかり難い所にあったのだが最近になって

開通しつつある山手幹線がすぐそばを通ったので、この道を

走っていると見えるようになった。

まずは読み方から、アホな親王のお墓ではありません。

あぼしんのうと読みます。誰やそれという方には、

阿保さんは知らなくても在原業平といえばご存知の方も多いはず。

六歌仙とか三十六歌仙といわれて有名な方で、古今和歌集には、

三十首が入集している、お歌の上手なおっさん。

「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし」

また伊勢物語の主人公だとも言われている。

この在原業平のおやじが阿保親王。

もっというと阿保親王のじいさんが平安京へ遷都を行った

桓武天皇。朝廷の力が膨張していく時代ですね。

空海、最澄が活躍するのも、坂上田村麻呂が命ぜられて蝦夷を

北へ追い上げて行ったのもこの頃。

桓武の次が平城、その次が嵯峨。阿保さんの父上が平城天皇。

つまり桓武からいえば、直系の孫なのですが、この後の皇統が

嵯峨天皇の方へ行ってしまった為に、業平の世代には臣籍に降下

してしまったというわけ。

この平城と嵯峨の権力争いは激しいものがあった様で、結局、

嵯峨側が兵を動かし、平城が出家して決着する。

この時、平城の愛妾藤原薬子、その兄の藤原仲成らが処罰される。

このためこの政変は「薬子の変」と呼ばれている。

阿保親王もこの変に連座して左遷の憂き目に会うが嵯峨天皇が

宮廷内の権力を固めて行く中で、平城が亡くなった後許されて

入京を許される。

そしてかなり重要な地位を歴任していくが、桓武直系の孫、

平城の第一皇子という立場はかなり微妙な物があったようで、

彼の動向は、彼の有能さもあり常に注目の的であったらしい。

後、恒貞親王の皇太子問題で策謀を持ちかけられるが、

これに与せず密告する。このためこの策謀は潰える。

しかし、彼はこの承和の変の三ヵ月後に急死する事になる。

このあたりも何かきな臭いにおいを感じる。

なんといっても平安時代のこのての事件は列挙に暇が無いし、

暗く陰湿なものをいつも感じる。

皇統の争いは暗殺の歴史といっても過言ではない。

阿保親王もこれに翻弄され続けた一生だったに違いない。

死後に一品の品位を追贈されている。

ところでこの阿保親王塚古墳、長州の毛利氏は阿保親王から

出ているとのことで、江戸時代に修復工事を行ったりしている。

現存する燈籠も毛利氏が贈った4対のうちの3対で1対は

阪神大震災で壊れたとか。

また芦屋には親王塚町、業平町、業平橋などこの父子に

まつわる地名が数多くある。

彼らがこのあたりに住んでいたという確定はできないらしいが

当時このあたりが朝廷の直轄領であったことは確からしく、

屋敷を持っていた可能性は高いらしい。

ただ最後にこんなことを書くのもなんだが、

この阿保親王塚古墳は、建造された時代とかを検証すると

どうやら阿保親王の墓ではないようだ。

ここに限らず、宮内庁の定めているものと実際の調査に

基づくものとの食い違いは全国津々浦々にあるが、

そろそろ何とかしていくことはできないのでしょうかねぇ。

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コメント

美男の誉れ高き在原卿。
華麗なる直系の出自を斜に構え斧が道を放蕩しているような様が好きだったのですが。
現世で言うなら小泉幸太郎君みたい?
伝説でしょうが小野小町との関係も古典愛好者の夢をそそります。
ランといい、歴史といい私好みのサイトです。ここは。

tacocoさん
このコメントいただいて気がついたんですが、
なんとなく小野小町に対して抱いていたイメージは結構姐さんに似ているんです。
十二単に身を包み、公家の優男たちを翻弄し、叱り飛ばしている?
すんません、言い過ぎました。
これからも歴史話のお付き合いよろしくお願いします。

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