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2008年10月

雨の六甲縦走路

去年の六甲縦走は8時間56分、今年は30分でも縮めたい・・・。

ということで勇んで出かけるつもりだったが、朝から雨。

そろそろ濡れてしまうと体が冷えすぎる季節ではあるし、

足元は滑り易くなるし、モチベーションが下がる。

まぁひどくはないし、行けるところまで行こうかと塩屋へ向かう。

Photo JR塩屋駅 7時15分

                                                 

                                       

                                          

                                          

雨はわずかではあるが降り続けている。

全行程8時間20分での各ポイントでの時間を設定して

これを目標に進む。

旗振り山 7時41分

鉄拐山 7時46分

おらが茶屋 7時52分

ほぼ予定通り進む。

栂尾山 8時08分

ちょっと速い、馬の背を越えて妙法寺へ下りる。

妙法寺通過 8時44分

10分の前倒し、飛ばしすぎ?これは8時間切のペースだ。

栂尾山の階段がんばりすぎたか。

ちょっとおさえよう。高取山、ゆっくり登る。

高取山 9時10分 7分早い。おにぎりをかじり丸山市街へ。

下りでシューズの中で足が動く感じ、まめができかけている。

そんなことを考えながら走っていると、鵯越駅を少し過ぎたあたりの

下りでなんかにけつまづいて転倒。手をついたが左ひざを打つ。

やわらかい土だったので、どうもなかったが、山でこけることは

めったにないのに・・・。

集中力の欠如か、足が動いてないのか。

とりあえずシューズを締めなおして再スタート。

いよいよ菊水山だ。

相変わらずの急な登りと階段だらけ。

今日の課題のひとつ、腕押しを練習だ。上体の力で

足をカバーする。

全身運動になるので心肺的にはかなりくる。

しかし足はかなり楽な感じ。

足だけがつぶされそうな急な登りでうまく使えれば、

重要な技術になりそうだ。

しかし心肺や体幹の筋肉をかなり使うのでトータルで

考えないといけないかな。

菊水山 10時23分 

今度は13分早い、腕押しがんばりすぎか、

やっぱり菊水はきつい。

天王吊橋への下りだ。しかし今日は下りがおかしい。

やはり足が動いていない感じ、スピードが上がらない。

けど、しばらく走っていると足が動き出す。

これはどうやら休憩時に筋肉が冷えてしまうようだ。

霧雨は降り続いているし仕方ないか。

鍋蓋山 11時00分 7分の早着。

気持ちのよい大龍寺への下りも今ひとつ。

市ヶ原 11時25分 ほぼ予定時刻まで戻った。

一服しておにぎりをかじる。やはり体が冷える。

十分に給水して出発。

また足が動かない、摩耶山の登り、この足で大丈夫か。

今日は少し道を変えハーブ園の方から天狗坂を目指す。

しばらく登ると調子は上がってくる。同年代のトレイルランナーと

前後するようになる、聞くと須磨から上がって宝塚を目指しているそうだ。

のぼりで離され、下りで追いつく、その繰り返しだ。

いい調子になってきたところで摩耶山到着。

12時30分ほぼいい時間。

Photo_2 雨の掬星台

誰もいないように見えますが

屋根のある休憩所はごった返していました。

                          

                      

掬星台でおにぎりタイムにしたのはいいがいざ動き出そうとすると

両ふとももに激痛、痙攣しているわけではないが、

じーんととにかく痛い。冷え切ってしまったのか? 

歩くのもつらい。雨もひどくなってきた。

暖めようとしばらく進むが、いっこうに改善の気配もない。

これは今日はここまでだな。

ゆっくり走りながら温めていけば回復してくるだろうし、

後がんばれば宝塚までも行けるとは思うが、

今日はそこまで追い込むこともないか、と自分に言い訳しつつ、

少し引き返したところにあるオテルド摩耶へ行く。

縦走では前を通り過ぎるだけだが、ここは結婚式ができたり、

おしゃれに食事するのには結構人気のあるところ。

一応ホテルなので、お風呂があるのです。

走って下りてもよかったが、一度ここの風呂にチェックを入れる。

しかし、風呂自体も小さめだし、展望はぜんぜんきかないし、

525円が高いか安いか?縦走をエスケープして

ロープウェイで下りるときの風呂ということにしておこう。

今日は雨の中強引に行ったこともあったし、

最初の突っ込み過ぎもあったが、体の温度、筋肉の温度に

対する感覚を持たないといけないようだ。

山を走るということは距離による疲労だけでなく標高

による気温の変化、それに雨や風が重なった時の状態を

予想して体をケアーしていかないと長丁場は乗り切れない

ということかな。

おまけに夜間走までやるようになると大変だ。

まだまだ勉強しなくっちゃ。

甲○園

先週の極寒キャンプ以来風邪を引いてしまい、

まったく走れていない。

咳も少しましになってきたので1週間ぶりのランニング。

いつもの芦屋浜コースから少し足をのばし、阪神香枦園駅までの

往復20キロのjogに出かけた。

天気は最高、しかしまだまだ暑すぎますね。

やたらと走っている人とすれ違う。

ランニングもブームとは言うけれど実感ですね。

のどに負担をかけないようにゆっくり、給水もたっぷり

とりながらの、2時間ちょっとでした。

ところで西宮にはやたらと園のつく地名が多い。

阪神タイガースによって全国的に有名な甲子園、

今日走った香枦園、阪急沿線には苦楽園、甲陽園、甲東園

などなど、枚挙に暇が無い。甲がつくのは甲山のことだろうね。

実はこれらは明治から大正、昭和初期にかけて、このあたりに

できた遊園地や公園、行楽地の名前だったんです。

とっかかりは香枦園、正しくは香櫨園。

西宮市域の最初の開発地として明治40年に香野さんと櫨山さんという

人が開発事業を手がけ現在の夙川あたりに巨大な遊園地が

建設された。二人の頭文字をつなげて香櫨園だそうです。

ここには博物館、動物園、音楽堂、ウォーターシュートなどが

設けられた。当時関西最大の遊園地だったそうな。

また甲陽園は大正7年に開発が始まる。

遊園地、温泉、旅館おまけに甲陽キネマ撮影所という映画の

撮影所まであったらしい。

最近廃業に追い込まれたはり半、つるやなどの高級旅館は、

この頃から続いていたようだ。

しかし昭和初めの不況でさびれてしまった。

つまりちょっと金をもうけた富裕層がこのあたりに住宅や

別荘を建てて遊びまくってたということなのかな。

今でも夙川、苦楽園、甲陽園といえば高級住宅地ではある。

甲子園はどうでしょうか・・・。

マキノ高原でグルメキャンプ

楽ランのイベントで滋賀県は高島市マキノ町へ遠征。

銘うって、”秋のグルメキャンプ”。

昨年は舞洲での開催だったが今年は滋賀と福井のメンバーと

語らって、マキノ高原でのキャンプとなった。

1日目、10時集合といっていたが、諸事情により我が家の

車が到着したのは13時、すいません。申し訳ない。

みんなが走りに行っている間にテント、宴会場の設営だ。

パラパラ来ていたがもう心配なさそう。

Photo 今回のサイト。

きっとうるさくなるからと

キャンプ場でも一番奥の

静かなサイトに設営。

                                  

今晩のメニューは、炉端焼きと鍋、それに福井から新鮮な海の幸が

届くはず。とりあえずかまどに火を入れよう。

みんなも帰ってきた。火がついていると火のまわりに寄ってくる。

これは多分人類の歴史が生んだ本能なのだろうね。

焼きもんの前に根野菜と鳥モモのダッヂオーブン焼きの仕込み。

と言っても、ジャガイモ、ニンジン、たまねぎをごろごろと

ダッヂに放り込んだ上に、よく塩胡椒をした鳥モモを並べるだけ。

このダッチオーブンを弱火程度の炭の上に置き、蓋に乗せた多めの

炭で、上から加熱する。これで30分から1時間ほっておけば、

鳥の皮がこんがり、したたりおちる油は、下の野菜がすべて

吸い取ってくれる。この野菜たちが絶品。

個人的な好みでいえばニンジンが最高。うま~い。

鍋は今日は味噌味で、かまどの用意も整ってきた。

福井のお土産は、ハマチと甘海老とハタハタ。

ハマチと格闘しながらさばいてくれている。

甘海老をつまむととろけるよう。ハタハタをさっとあぶって

かぶりつくと、臭みも無くうまい。頭からむしゃむしゃ。

そのうちハマチも出てくる。すこし小ぶりなハマチだが味は最高。

それについている値札を見て二度びっくり。

え~っ、こんな値段で・・・・・。

こっちの大安売りの時のさらに半分ぐらいの値段。信じれん。

引っ越そうかなぁ。

そんなこんなで、例によって酒類が地面にしみこむ水のように

消えていく。

ビール500ccと350ccあわせて60本、泡盛1本、焼酎1本、ワイン2本

バーボン少々、どこへ行く~。

カセットでかかっている曲はおっさんたちにはたまらない懐メロ。

生ギターにエレキも出てきて、大騒ぎだー。

少し離れたサイトをとってもらって大正解。

近くに他のキャンパーがいれば絶対、ひと悶着は避けられない。

夜は更け行く、記憶は消える。

アサーッ。(古いか・・・)

さすがに10月の高原の夜は寒かった。寝袋は使っていたが

もう少し着込んでからもぐればよかった。でも酔っ払いにはつらい。

隣では寝袋にあぶれた人が寝ているしBさん大丈夫?

朝食はチーズ入りフレンチトースト、我が家の定番です。

ソーセージ、サラダにご飯、スープ、漬物、みんなよく食べるわ。

おなかがくちくなったら、みんなで場内を散歩。

Photo_2 冬はスキー場になる

草原サイト。

広いーっ。

                              

のんびりプラプラ。                                                    

みなさん、さすがに走る気にはならんらしい。

絶対にみんな体重増やして帰るだろう。

昼の支度をしつつ、(食べることしか考えていない。)そろそろ

片付けに入る。

最後の食事はKちゃんカレーにシーフードパスタ。

カレーはこの日のために何日も煮込んだ物。

またまたみんなパクパク。一人で酒盛りしてるやつもいるし・・・。

さあ残念ながらお開きです。お疲れ様でした。

帰りにはメタセコイヤ並木の道で少し撮影会。

Photo_3

きれいだね。

来年はやっぱり9月かな。

                                  

                                                      

ところでここで例によってすこし歴史ねたを。

ここ高島市マキノ町の隣の町は西浅井町。浅井・・・。

そうです、ここ湖北、北近江は戦国大名浅井氏の領土。

浅井氏は近江の守護大名京極氏の被官であったが亮政の時に、

お家騒動に乗じて京極氏の家臣まで従えて、戦国大名へと

育っていく。同様に南近江で力を持ちだした六角氏と対立するが

越前の朝倉氏の応援を得て勢力を張る。

その子の久政の代になるとやや軟弱になり、六角氏に従ったりも

していたようだが、その子長政が、合戦や外交に非凡な物を

見せ始めて家臣の信頼を得ると、その家臣たちが久政を

隠居させてしまう。

250pxazai_nagamasa31 浅井長政です。

さて、この頃から織田信長との

関わりあいが出てくる。

斎藤氏から美濃を奪った

信長は南近江の六角承禎と

境を接するようになると

遠交近攻策により北近江の

浅井氏に近づく。

妹のお市の方を長政に娶わせ、同盟を結ぶ。

織田と徳川の同盟は信長が本能寺で倒れるまで揺らがなかったが、

長政への信頼も大きかったらしい。

このまま続いていれば、東に徳川、北に浅井でそして上杉謙信と

にらみ合っていたのは浅井長政だったかもしれないね。

しかし六角氏を滅ぼした信長は朝倉氏へ触手をのばす。

朝倉氏の本拠金ヶ崎を目指し越前へ攻め込む。

この時、その退路を絶つように浅井の軍勢が後ろから襲いかかる。

この情報をいち早く察知した信長は家来も軍勢も置いてきぼり、

身一つといってよい状態で京都までたどり着く。正に危機一髪。

しかしこの裏切りもなかなかなぞが多い。

というのはこの合戦に長政も、名だたる重臣の海北清綱、磯野員昌

遠藤直経の誰も動いた形跡が無いらしい。

ということは反信長派の家臣たちの暴走ではないかという説がある。

だとしたら、家臣の先走りの責めを負って、以後信長に敵対しつづけ、

滅んでいったことになる。

通説では父久政の朝倉との縁は切れないとの意見を入れて信長に

背いたことになっているが、いずれにしても悲しい話です。

若い長政としては新進気鋭の信長とともに、天下統一を目指す戦い

をしていきたかったのでは・・・。

しかしその思いは彼の三人の娘によって見とどけられる。

上の娘はご存知”淀君”となって豊臣家へ、中の娘は旧主と

言ってもいい京極氏へ、そして下の娘はお江与の方として

徳川幕府二代将軍秀忠の正室となる。

女性の力で戦国時代を制したのは浅井氏だったかも。

少しだけ浅井話でした。

けど信長が逃げる時にマキノ高原を通って逃げた家来も

いたかも知れない。

ひょっとしたら信長自身が・・・・。

今津の港

今日のLSDは、本山から芦屋で南下、臨港線を西宮へ向かう。

かなり涼しくなったとはいえ真昼間はかなり気温が上がる。

それに今日は特別暑いようだ。ハイドレの水がどんどん減る。

今津辺りで海へ出て甲子園浜沿いを武庫川まで出る。

影がない、暑ぅ~。

武庫川を北上。相変わらず子供たちが、ラグビーや野球の

練習をしている。将来はプロ野球選手か全日本のメンバーか。

頑張りやぁー。

このへんで気がついたのだが、芦屋辺りから前後しながら

走ってきて、同じように武庫川を走っている人がいる。

天気も良かったし、同じ事を考えたご近所さんかな。

暑いですね。

武庫川から仁川へ入った頃にコースが違ったようで、

見なくなってしまいましたが・・・。

仁川から関学方面へ向かう。

墓地にある水道を借りて頭から水をかぶったのはいいが、濡れた

めがねは乾くと真っ白けになるし、手は妙にべたつくし、

この水は飲めませんとは書いてあったが、なんか混じり物が

かなり入っていたのかな。やな感じ。

神呪寺への参道、大師道の入口をとおり、苦楽園から夙川へ。

山手幹線を通って家まで戻って、約34キロでした。

今日の道端の歴史

香枦園の浜から甲子園浜にかけて海沿いにいくつか史跡がある。

香枦園浜には西宮砲台、今津の津門川河口には今津灯台、

その対岸には今津砲台跡。

時は幕末の1864年、時の軍艦奉行並 勝安房守(海舟)は

摂海警衛と神戸海軍操錬所の運営を委託される。

勝はよくぼやいていた。

「てやんでぇい、べらぼうめ!幕府のお偉いさんたちゃぁ、

何考えてるんだろうね。ぼやぼやしていると海からやってくる

外国のやつらに領土をわけどりにされちまうぜ。立派な海軍を

育てて沿岸には強力な大砲を備えて国防に力をいれにゃあ、

やられちまうよっ。」と幕府の要人に吹きまくり、ようやく

この地位を得て国防に力を注げるようになった。

この摂海警衛の一環として、大阪湾の各地に砲台の建設を

急がした。この時に造られたのがこの西宮砲台と今津砲台。

また神戸海軍操錬所は神戸の京橋あたりにあった幕府の

海軍の学校。坂本龍馬が塾頭をしていたともいわれる。

しかし後に幕府がこの操錬所をつぶしてしまった時に、

龍馬は幕府に見切りをつけたようだ。

その時から倒幕に本腰を入れるようになる。

「これからの日本にとって大事な海軍の学校を

つぶすようじゃー、幕府に未来は無いきに、

薩摩と長州でつぶしてしまっとおせ。」

てなことを言いながら薩長同盟の成立に奔走する。

その頃には勝は幕府の中で不遇をかこつ。

彼が表舞台へ戻ってくるのは倒れた幕府の後始末の為。

その西宮砲台と今津砲台

砲台の位置は勝海舟が計画し、西宮では香枦園浜、今津では

港の入り口東側におかれた。

砲台は文久3年(1863年)に建設が始まり、

慶応2年(1866年)後半になってようやく完成される。

砂地に建てるため千本をこえる松グイを打ち込み、

瀬戸内海中部の島々から運んだ花崗岩を積み上げる。

通常の2倍の賃金で熟練工を集め完成を急いだがあしかけ4年を

要する難工事となった。

砲台の大きさは直径10数m、高さ10mから12mで、

二層目をめぐる方眼からは、大砲で四方をねらうことができた。

しかし空砲を試射すると、砲煙が堡内に立ちこめてしまい、

実用に向かなかったらしい。

幸い使用に至らずして明治維新を迎えた。

Houdai1

西宮砲台は明治17年

(1884)火災のため内部の

木造構架を焼失。

昭和9年、昭和49年と

補修工事を行ない、現在も石槨部分はなおよく築造当時の

面影をとどめており、幕末の世相を偲ぶことができる。

一方の今津砲台は大正4年(1915年)、民間に払い下げられたあと

石を取るため壊された。

Photo

現在ここに置かれている

石材は砲台の一部である。

                                 

                                    

                                    

その対岸に位置する今津灯台

Toudai1

今津の酒造家「大関」醸造元、

長部家五代目長兵衛によって、

今津港に出入りする樽廻船や

漁船の安全を願い文化七年(1810年)に建てられた灯明台が

今津灯台の起源。

その後六代目文次郎が再建、台石の「象頭山常夜燈」は

海の守り神金比羅宮奉納を表し、この高燈籠様式の灯台に、

今津の人々は深い親しみと郷愁を感じているそうだ。

この古い行灯式灯台は1968年(昭和43年)に航路標識として

海上保安庁から正式に承認され、海図や灯台表にも登載される

民営灯台となり、その名も「大関酒造今津灯台」が公認名称で

今も現役で活躍し、かつ市の文化財指定を受けている。

石の基壇の上に建つ高さ約6.7mの袴腰付灯籠形行灯式と

呼ばれる木造の灯台で、建設当時は油を燃料にしていたが、

大正年間に電化され現在では緑色の光(不動緑光)を、

放ち続けている。

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