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今津の港

今日のLSDは、本山から芦屋で南下、臨港線を西宮へ向かう。

かなり涼しくなったとはいえ真昼間はかなり気温が上がる。

それに今日は特別暑いようだ。ハイドレの水がどんどん減る。

今津辺りで海へ出て甲子園浜沿いを武庫川まで出る。

影がない、暑ぅ~。

武庫川を北上。相変わらず子供たちが、ラグビーや野球の

練習をしている。将来はプロ野球選手か全日本のメンバーか。

頑張りやぁー。

このへんで気がついたのだが、芦屋辺りから前後しながら

走ってきて、同じように武庫川を走っている人がいる。

天気も良かったし、同じ事を考えたご近所さんかな。

暑いですね。

武庫川から仁川へ入った頃にコースが違ったようで、

見なくなってしまいましたが・・・。

仁川から関学方面へ向かう。

墓地にある水道を借りて頭から水をかぶったのはいいが、濡れた

めがねは乾くと真っ白けになるし、手は妙にべたつくし、

この水は飲めませんとは書いてあったが、なんか混じり物が

かなり入っていたのかな。やな感じ。

神呪寺への参道、大師道の入口をとおり、苦楽園から夙川へ。

山手幹線を通って家まで戻って、約34キロでした。

今日の道端の歴史

香枦園の浜から甲子園浜にかけて海沿いにいくつか史跡がある。

香枦園浜には西宮砲台、今津の津門川河口には今津灯台、

その対岸には今津砲台跡。

時は幕末の1864年、時の軍艦奉行並 勝安房守(海舟)は

摂海警衛と神戸海軍操錬所の運営を委託される。

勝はよくぼやいていた。

「てやんでぇい、べらぼうめ!幕府のお偉いさんたちゃぁ、

何考えてるんだろうね。ぼやぼやしていると海からやってくる

外国のやつらに領土をわけどりにされちまうぜ。立派な海軍を

育てて沿岸には強力な大砲を備えて国防に力をいれにゃあ、

やられちまうよっ。」と幕府の要人に吹きまくり、ようやく

この地位を得て国防に力を注げるようになった。

この摂海警衛の一環として、大阪湾の各地に砲台の建設を

急がした。この時に造られたのがこの西宮砲台と今津砲台。

また神戸海軍操錬所は神戸の京橋あたりにあった幕府の

海軍の学校。坂本龍馬が塾頭をしていたともいわれる。

しかし後に幕府がこの操錬所をつぶしてしまった時に、

龍馬は幕府に見切りをつけたようだ。

その時から倒幕に本腰を入れるようになる。

「これからの日本にとって大事な海軍の学校を

つぶすようじゃー、幕府に未来は無いきに、

薩摩と長州でつぶしてしまっとおせ。」

てなことを言いながら薩長同盟の成立に奔走する。

その頃には勝は幕府の中で不遇をかこつ。

彼が表舞台へ戻ってくるのは倒れた幕府の後始末の為。

その西宮砲台と今津砲台

砲台の位置は勝海舟が計画し、西宮では香枦園浜、今津では

港の入り口東側におかれた。

砲台は文久3年(1863年)に建設が始まり、

慶応2年(1866年)後半になってようやく完成される。

砂地に建てるため千本をこえる松グイを打ち込み、

瀬戸内海中部の島々から運んだ花崗岩を積み上げる。

通常の2倍の賃金で熟練工を集め完成を急いだがあしかけ4年を

要する難工事となった。

砲台の大きさは直径10数m、高さ10mから12mで、

二層目をめぐる方眼からは、大砲で四方をねらうことができた。

しかし空砲を試射すると、砲煙が堡内に立ちこめてしまい、

実用に向かなかったらしい。

幸い使用に至らずして明治維新を迎えた。

Houdai1

西宮砲台は明治17年

(1884)火災のため内部の

木造構架を焼失。

昭和9年、昭和49年と

補修工事を行ない、現在も石槨部分はなおよく築造当時の

面影をとどめており、幕末の世相を偲ぶことができる。

一方の今津砲台は大正4年(1915年)、民間に払い下げられたあと

石を取るため壊された。

Photo

現在ここに置かれている

石材は砲台の一部である。

                                 

                                    

                                    

その対岸に位置する今津灯台

Toudai1

今津の酒造家「大関」醸造元、

長部家五代目長兵衛によって、

今津港に出入りする樽廻船や

漁船の安全を願い文化七年(1810年)に建てられた灯明台が

今津灯台の起源。

その後六代目文次郎が再建、台石の「象頭山常夜燈」は

海の守り神金比羅宮奉納を表し、この高燈籠様式の灯台に、

今津の人々は深い親しみと郷愁を感じているそうだ。

この古い行灯式灯台は1968年(昭和43年)に航路標識として

海上保安庁から正式に承認され、海図や灯台表にも登載される

民営灯台となり、その名も「大関酒造今津灯台」が公認名称で

今も現役で活躍し、かつ市の文化財指定を受けている。

石の基壇の上に建つ高さ約6.7mの袴腰付灯籠形行灯式と

呼ばれる木造の灯台で、建設当時は油を燃料にしていたが、

大正年間に電化され現在では緑色の光(不動緑光)を、

放ち続けている。

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コメント

ちょうどNHK篤姫の今放送中の内容にタイムリーな歴史記事でした。
目の前に勝海舟が現れたような感じがしました。
ところで週末のグルメキャンプ、参加できず残念です
(´・ω・`)ショボーン
なんとか天気も良さそうで良かったです。

 今津灯台灯台、懐かしいです。一番最初にヨットを係留した場所です。西宮マリーナに移るまで、5年間いました。

たっくん
キャンプから帰ってきました。
福井からchikaさん、はんべいさんも参加で
楽しかったですよ。
小雨はぱらぱら少し降られましたが、
あとは天気もよかったのですが、予想通り
寒い寒い。何人か風邪ひいたかも。

MAKOTOさん
そうですか、今津が最初だったんですね。
今度ディンギー乗りに行きませんか?
芦屋の海洋体育館で、レンタルでシーマーチン
乗れますよ。それか京都の宮津のヨットハーバーでも借りれます。こっちは日本海の景色が最高です。なんかムズムズしてきた。

ジャンさん、もう一度470で、マジで大会に出ましょうか?微風には弱いけど、強風はバッチですよ(^_^)v

MAKOTOさん
いいですね。レースはスナイプのクルーしか経験ありませんが、楽セイラーズやりますか。

ジャンさん。奥様。

大変お世話になったにもかかわらず、後片付けもしないで帰って申し訳ありませんでした。

グルメキャンプは楽しかったし、おいしかったし、最高でした。

これからもよろしくお願いします。

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