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2009年1月

紀州口熊野と田辺

今週末は紀州口熊野マラソン、和歌山県は上富田町、大塔町、

中辺路町で開かれる大会で、ここ4~5年は毎年参加している。

地域が一体になって手作りで大会を盛り上げているので

雰囲気がよく、あったかい感じがして気に入っている。

今年も嫁ともどもエントリー、楽ランからもT姐さん、Kばやん、

Kみちゃん、CHエイスさんも出場予定だ。

今回は走る前に歴史の予習をしていきましょう。

さてさて、紀州口熊野とは何ぞや?

紀州はもちろん紀伊の国、口熊野とは熊野への道

熊野古道の入口という意味らしい。

熊野周辺は日本書紀にも登場する自然崇拝の地である。

日本書紀、神代記に伊邪那美命が死んだ時、熊野の有馬村と

言うところに葬られたという記述があるそうな。

古来、熊野は山岳信仰から修験道の修行の地とされた。

その中から、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社が

興ってくる。

その祭神は、それぞれ家都美御子神(けつみみこのかみ)、

牟須美神(むずびのかみ)速玉神(はやたまのかみ)である。

やがてこの三社それぞれの神が、三社共通の祭神になっていく。

また神仏習合により、家都美御子神は阿弥陀如来、

牟須美神は千手観音、速玉神は薬師如来とされ、熊野三山と

呼ばれ、仏教的要素が強くなっていく。

また熊野三社で祀る神の総称を熊野神、熊野権現などとも言う。

権現とは仏や菩薩が人々を救う為に仮に神の姿で現れること。

いったい神さんなの、仏さんなの、どっちやねん。

日本人ってほんとに面白いね、勝手に解釈作って、何でもOKというか、

長所でもあるんだけどね。

外国の敬虔な宗教家から見ると理解できないらしい。

さて熊野参詣は、907年、宇多法皇(誰かの名前に似てるぞ)

に始まり、頻繁に行われるようになったのは1090年からの

白河上皇の9回の行幸から。

この後京都の公家の間で熊野詣が流行りだす。

後白河上皇にいたっては33回も行幸している。

これに伴い、熊野街道が発展し、街道沿いに九十九王子と

呼ばれる熊野権現の御子神が祀られた。

この九十九王子についてはよくはわかっていないようだ。

熊野までの参詣者の庇護を祈願したのではないか

というのが一般的らしい。

熊野三山遥拝を行ったのではないかと言われたが

史料上にはその記録はなく、また参詣の時の宿だとか、

物品の補給を行ったとかもいわれるが、帰路にはほとんど

顧みられていないところからこの説もあたらないといわれている。

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つまり中世の皇族、公家たちが

参詣するおり、先達を努めた

熊野の修験者たちが京都からの

道中、紀伊路、中辺路、大辺路で

住人の祀る雑多な神々である諸社を王子という名で呼び、

熊野権現の御子神と認定して参詣の道中の安全を願ったと

いうところか。この王子も鎌倉時代以降は衰退する。

さらに時代がくだると、伊勢参りと並び、熊野詣は広く

武士、庶民が行うようになった。

熊野と浄土信仰の繋がりが強くなると、念仏聖や比丘尼のように

民衆に熊野信仰を広める者もあらわれる。

次第に民衆も熊野に頻繁に参詣するようになり、「蟻の熊野詣」

と呼ばれ熱狂的に人々の心を熊野へと駆り立てた。

一時は熊野付近の旅籠に1日で800人もの宿泊が記録された

こともあったそうだ。現代の行楽地と比較してはいけません。

人が動くことが少なかったあの時代では驚異的な数字です。

また、各社で発行される熊野牛王符は護符としてのほかに、

起請文(誓約書)の料紙として使われ、この牛王符に書いた

誓約を破ると神罰を受けると信じられた。

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たとえば武将が他の武将の

傘下に入る時など

熊野牛王符に

誓約などを書き、

裏切らないことを誓う

というような使われ方もしたようだ。

このようにして熊野権現は日本全国に勧請され、各地に

熊野神社が建てられるようになる。

熊野神を祀る神社は日本全国に約三千社にのぼる。

中でも沖縄では、神社の殆どが熊野権現を祀っている。

江戸時代後期になるとピークは過ぎたものの盛んであった

熊野信仰も紀州藩による神仏分離政策で布教をしてきた聖や

山伏、熊野比丘尼の活動を規制したため衰退し明治維新後

になると神仏分離令(くっつけたりはなしたり、忙しいことです)

により熊野古道周辺の神社は激減、熊野詣の風習もほとんど

なくなってしまう。

しかし熊野古道は生活道路として使用され続け、もちろん

廃道になってしまったところもあるが、最近では

世界遺産に登録され、整備されて、訪れる人もかなり

増えているようです。

きっとトレイルランナーもいっぱい走っているんでしょう。

またこのマラソンのスタート地点の上富田町のお隣に

田辺市がある。JRの駅は紀伊田辺。

どんなに歴史にうとい人でも名前くらいは知っている武蔵坊弁慶。

ここ田辺は弁慶の生誕の地といわれている。

しかしこの弁慶、名前が有名なわりに実際の歴史上は謎だらけ

の人物で、一時は実在すら否定されそうになったほど史書には

出てこない。「吾妻鏡」で義経が都落ちするところで、一行の

中に名前が見える程度。

弁慶が大活躍するのは義経記などの史実という観点からいえば

あやしげな書物だけなのです。

義経記に出てくる弁慶の生い立ちを紹介すると、

まず弁慶の母親の妊娠期間は18ヶ月、生まれた時は

2~3歳児の大きさで、奥歯まではえそろい、髪の毛は

肩まであったそうな。幼名は鬼若、これなんぞ牛若丸に

会うために作った名前としか思えませんね。

そして父親は熊野の別当弁しょうということになっているが

熊野の別当といえば熊野の修験者の最高権力者、

その息子ということになれば、その名前が出てくるはずなのに

別当の代々記にも弁慶の名前はありません。

また名前の由来である武蔵坊というのは比叡山の西塔には

ありません。

このように義経記というのは歴史書というよりも、創作小説

と考えた方が良いようです。

京の五条の橋の上の出会いから、東北の平泉、源平合戦、

悲劇のヒーロー義経に最後まで付き従った忠実無比な豪傑。

最後は義経を守って敵の前に立ちはだかり、全身ハリネズミ

のように矢を受けながらも倒れず立ったまま絶命する。

日本人が大好きな話には仕上がっています。

坂本竜馬と並び日本史上の最大の人気者の一人である

ことはたしかですね。

なんてことを考えながら今年の口熊野マラソンを走ろう。

浪速路こてこて観光&グルメマラニック歴史編

1月17日、阪神大震災の日。

あれからもう14年も経ってしまいましたね。

早朝、地震発生時刻の前からテレビは地震一色。

各地の追悼行事を伝えている。

あらためて、犠牲になられた方の冥福を祈りましょう。

さてこの日は楽ランEASTからの賓客を歓迎するマラニックが

行われた。1日中走り回って大阪を堪能しきってもらおうという

題して、浪速路こてこて観光&グルメマラニック。

グルメについては参加メンバーが各ブログでいっぱい

報告があると思うのでここはあえて歴史に注目しながら

追っかけてみることにする。

スタートは大阪のランナーたちの聖地、大阪城公園。

ここから本丸へ入る。

太閤豊臣秀吉が築いた、名城大阪城。

Photo

もちろん当時のままではなく、徳川時代に一度、建て替えられたが

その後落雷で焼失、その後はしばらく天守閣のないお城であった。

昭和になって市民の募金によって再建される。

太平洋戦争中の空襲でかなりの櫓、門などに被害が出たが

天守閣は被害を免れた。

その後も何度か改修を行って現在に至っている。

歴史の表舞台をかざったお城だけに逸話も多い。

淀君、秀頼の物語、大阪冬、夏の陣などあまりにも有名ですが

秀吉以前は何だったかといえば、石山という小高い丘の上に

本願寺、つまり浄土真宗のお寺が建っていたのです。

そしてそこはもともと本願寺中興の祖、蓮如上人の隠居所、

さらにその前は生国魂神社があったとされ、その由来は

神武東征のおり難波の津に上陸した神武が国土の神である

生島神、足島神を祀ったのが始まりとされる。

さらにその前は古墳があったそうな・・・、もういいか。

さてマラニックは大阪城を出て大阪天満宮を訪れる。

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ご存知天神さん、菅原道真を祀り、夏に行われる天神祭りは

日本三大祭の一つに数えられる。

                                                                           

                                                                              

菅原道真公はその頭のよさ、精神の美しさから天皇の信頼を

得たため、時の勢力者、藤原氏に危険視され、九州へ流される。

そして再び復帰することなく不遇のうちに没する。

彼がなくなったとたん、都では疫病がはやり、親王のうちで病死

するものが多く、また清涼殿に落雷があり死傷者が出たりする。

これが道真のたたりだとされ、京都に北野天満宮、九州に

太宰府天満宮、大阪天満に大阪天満宮が相次いで立てられ、

道真の怒りをおさめようとした。

天神信仰の始まりである。

しかし平安末期から鎌倉時代にかけては、そのたたりは

次第に忘れられ、彼の頭のよさから学問の神様ということに

なって今に続いている。

天神さんにお参りしたあとは、繁盛亭の前を通り

天神橋筋商店街を北上。行列の出来るコロッケ屋さん、

中村屋のコロッケをかじり、今度は昼間は静かな歓楽街、

北新地を爆走する。

四ツ橋筋を南下、再び行列を発見。堂島ロールに並ぶ行列だ。

しかし予約を入れていたので行列はスルーでロールケーキに

ありつく。中ノ島から市役所前を横切り中央公会堂から南下。

すぐ適塾が見えてくる。

正しくは適々斎塾、幕末の蘭学者、緒方洪庵が開いた塾である。

門人には慶応義塾の創始者"福沢諭吉"、日本陸軍の創始者

"大村益次郎"、日本赤十字の創始者"佐野常民"、安政の大獄で

斬首された越前の医師"橋本佐内"、他にも大鳥圭介や

変わったところでは手塚治虫のひいおじいちゃん"手塚良仙"など

がおり、幕末から明治にかけて日本の近代化に大きな役割を

果たしたそうそうたる人物たちを育てた私塾である。

またこの近くにこの適塾と同じような古い建物の幼稚園がある。

愛珠幼稚園といって創立明治13年だそう。

さらに少し南へ行くと湯木ビル、湯木美術館がある。

日本料理"吉兆"の創業者、湯木貞一氏の茶の湯のコレクションを

収蔵、展示している。

その中にはなんと重要文化財11点、重要美術品3点が

含まれている。

またここのすぐ向かいに小さな碑があったので見てみると

北組惣会所跡。

なんのこっちゃ、恥ずかしながら知らなかったので、

帰って調べてみると、江戸時代の大阪は大川をはさんで三つに

区分され、大阪三郷と呼んでいた。それが天満組、北組、南組で

それぞれに惣会所が設けられ、町人による自治機関として町の

行政を処理していたそうである。

こういう町の暮らしの歴史というのはなかなか知る機会が

ないのでいいお勉強でした。

Photo_3

マラニックはさらに続き、アメリカ村から道頓堀に入る。

ここも有名な話だが安井道頓らが私財をなげうって運河を掘り

1615年に完成、道頓堀と名付けられる。

これに沿って劇場ができはじめ、それに伴い飲食店も増え、

多種多様な建物があふれる地域となった。

ここで、老舗屋台"大たこ"のたこ焼きを賞味、ついでに麦酒

などをちびり。

次の名所は、藤島桓夫の"月の法善寺横丁"で有名な

(若い子は知らない?)法善寺横丁へ。

法善寺は浄土宗のお寺、本尊は阿弥陀如来。

この寺では千日念仏を行ったところから千日寺の別名もある。

このことから寺の前を千日前と呼ぶようになったとか。

さあ道具屋筋を抜け今度は大阪の台所"黒門市場"、

でっかいとらふぐがごろごろ、さすがにこれは買い食い

できません。ここはもと円明寺市場といい円明寺というお寺の

そばにあったのでこの名になり、さらにその山門が黒かった為、

黒門市場になったようだ。

黒門市場を出て向かうのは今宮戎神社。

1月10日にはとてつもない人でにぎわう"えべっさん"だ。

いつも行くのは西宮戎だから、ここを訪れてみるのは初めて。

すると小さい! 西宮よりはるかに大勢の人でごった返している

ニュースを良く見るので意外。

また各地にある戎神社の総社は西宮神社といわれている。

これを言うと大阪の人の中には怒る人もいるが、大きさから

見ればそのようでもある。 今宮という名前ももともと今西宮

から来ているといわれているし、まず西宮がさかえた

のかも知れないね。商業都市として大阪が大きくなる

にしたがって今宮が有名になってきたというところか。

ちなみに”商売繁盛で笹持って来い”というのは

西宮では一切言いません。

もうひとつ興味を持っているのが西宮神社の北の方には

廣田神社という大きな神社がある。阪神タイガースの

優勝祈願でも有名だが、西宮神社は廣田神社の南宮で

あるとも言われている。そして今宮神社の北にも

同じように廣田神社があるのです。

西宮神社と今宮神社の関係はかなり深い物が

あるのかもしれません。

ということでこてこてマラニックもいよいよ通天閣で

ゴールです。そのすぐ足元にあるラジウム温泉で湯浴み、

ジャンジャン横丁近くで打ち上げ。

もちろん最後は二度づけ禁止の串カツで締めでした。

T姐さんとBさん、

発案、企画、構成、引率、ほんとお疲れさんでした。

八方尾根と五竜とおみ

1月の3連休、信州の白馬へスキー行。

1週間前頃から天気予報をながめていると、

どうやら寒波の襲来らしい。

1月のスキーでは仕方ないか・・・。

直前になってくると、北海道、東北地方は大荒れ、

九州、四国でも雪の予報。

スキー場で雪に降られるのは仕方ないが、行き帰りの道中が

大雪にやられると予定がめちゃくちゃになる。

以前にも早朝4時頃出発したのはいいが、高速道路は寸断、

地道もいたる所で通行止、大渋滞、立往生。

結局、信州までたどり着いたのは、夜の7時を

まわってしまい、15、6時間かかってしまった事がある。

あのてつは踏みたくない、天気予報をにらみつける。

すると近畿から中部にかけては雲があまりない、

ぽっかりあいてしまっている。

さすがに日本海側は雪のようだが太平洋側は曇り、又は雨。

これはついているかも。

雪による遅れを考えて朝3時過ぎに出発。

道中進んでいくとほぼ予報どおり、一部山間部で雪により少し

渋滞していた程度で白馬の山麓へ近づく。

さすがにここまで来ると山の向うは日本海側といってもいい所。

山に押寄せる日本海からの雪雲がこちら側へ越えてくる。

まわりは一面の銀世界、走行する道も圧雪路。

車が流れるスピードもとことこという感じでゆっくり進む。

第1日目は八方尾根へ向かう。

結局7時間半ぐらいで到着。

今日は半日券で滑ろう。

この日は雪とガスでほとんどまわりが見えない。

自分の足元の雪の状態も良く見えない。

はぐれないように滑るだけだ。

半日滑って宿へ向かう。

八方尾根の山麓には、いくつかのペンション村があり、今回は

その内のひとつのエコーランドにあるペンション"あぎ"に泊まる。

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ここの売りは、自家製の米、野菜を使った食事。

またこれも自家製の果実酒、ジャムもおいしかった。

もちろん毎日の魚料理、肉料理も1品ずつ出てくるが、

それぞれ手をかけたおいしい料理。

もうひとつここのオーナーが山好きなのもいいね。

じっくり話はできなかったが、ペンションには

山の本、写真などがいっぱい。

夏にも来て北アルプスを登るのもいいねぇ。

二日目は隣のスキー場、五竜とおみと白馬47へでかける。

五竜とおみは栂池高原と並び白馬を代表するおしゃれなスキー場

初心者、女性に人気が高い。

白馬47は比較的新しいスキー場で五竜とおみとはリフト券も

共通で行き来できる。

ここと昨日滑った八方尾根を比較すると面白い。

八方尾根は質実剛健というか、ゲレンデそのものの魅力で

人を集めている。

スキー場としても大きく、変化に富んだコースを楽しめ、

八方の最大の魅力であるタイトな上級者コースも多く、

がんがん滑りたくてたまらない連中をひきつけている。

その反面、たとえばゲレンデ内の標識などは非常に少なく、

不親切といってもいい。迷う人もかなりいると思う。

またさまざまな設備に関しても、あか抜けない、

いささか古いといってもいいところがある。

つまり、スキー場全体がほんとにスキーが好きな人だけ

来て下さいという雰囲気なのである。

これに対し五竜とおみは痒いところに手が届くというか

ゲレンデの案内板は数知れず、地図を見ないで滑っても

迷うことはないだろう。

レストランや休憩所も外観も内部も綺麗でいかにも女性好み。

昔からそんな感じだったが、今回両方を訪れてみて

その違いを実感です。

一人でたっぷり滑るのは八方、

女性連れ、家族連れであれば五竜ですかね。

それと今回驚いたのが、外人さんの多いこと、多いこと。

客だけではなく、施設で働く人たちの中にもたくさんいる。

多分、バイトや居候もいそうだ。

これは長野オリンピックの影響で、志賀高原や

八方尾根の名が世界的に売れているんでしょう。

世界から来るお客さんのために日本語もしゃべれる外人を

雇っているというところかな。

日本語を覚えるために来ている人もいるかもね。

二日目は午前中は晴れ間ものぞいたりして、雪やガスも

少なく気持ちよく滑る。

三日目はまた雪と風とガス、気温も下がっているみたい。

顔が痛い、指先、足先がかじかむ。

午前中半日だけ滑り、帰路につく。

近くで土産を買い、高速入口手前の安曇野でわさび漬けを仕入れ

後は高速道路をひた走る。

今回往路は午前4時前に高速道路に入ったのでETCの

深夜割引を受けて8650円が4300円だった。

帰路もこれを狙う。雪もなくもう少し早く帰れそうだったが、

途中で食事もし、車のスピードもおさえて0時過ぎに西宮ICを

出るように調整する。

これがかなりつらかった。

食事したことによってただでさえ眠くなるのに、ゆっくり走るから

緊張感も減少、おまけにわが車のVIP乗客たちは健やかに

お眠りになっている。

ガムを咬もうが、せんべいを食べようが、ほっぺたをつねろうが

睡魔が大津波のように襲ってくる。

たまらず、吹田のSAで仮眠を取る。

おかげで時間内へたっぷり入る。

しかしこの時間の吹田SAはすごい、このETC割引待ちの

車でごった返している。

誰しも考えることは同じだね。

無事、割引料金で通過。

往復で8700円浮いた計算。

これは大きいですよね。

そんなこんなのスキー行でした。

神戸マラソン

神戸でフルマラソンの計画があるらしい。

最大の課題、交通規制について兵庫県警が調査を進めている

そうで、具体的にはまだこれからのようだが、観光名所などを

巡る市民参加型フルマラソンということです。

神戸ですから東西に走って、明石大橋の使用も検討されている

らしい。これはこれは、近頃にないうれしいニュースです。

何が何でも第1回大会から出場したいですね。

大都市のマラソンは東京に始まり大阪も早ければ2010年に

開かれるらしいし、3番目かな。ひょっとしたら大阪より早いかも・・・。

いざやるとなると神戸ラブランや神戸シティハーフが

統合されるかもしれないね。

なんにしてもめちゃくちゃ楽しみです。

おしらせでした。

余談ですがこの連休は八方尾根へスキーに行ってきます。

大雪みたい・・・。

今年最初の勝負

正月の食べ過ぎ、飲み過ぎのカロリーを消費すべく

LONG走へ出かけた。

予定は40キロ程度、キロ6分ぐらいで行こうかな。

LSDとペース走のまん中くらいのイメージ。

脂肪消費ペースというところか。

相棒はいつものように淡々とラップを知らせてくれる

冷たい無機質な声のトレーナーと、登りだろうが下りだろうが

絶対にペースを崩さない強力無比のライバルランナー。

どちらも左腕の手首付近にへばりついてやがる。

朝六時過ぎ、本山駅前スタート。

ライバルランナーのペースはキロ6分。

こいつに後からつつかれながら走る。

早朝だが今日は少し暖かい、風も少ないみたいだ。

芦屋辺りから海岸線へ出る。

4月の花見、芦屋ファンランの時のコースだ。

またバーベキューの用意をしなくっちゃ。

この芦屋川、宮川、夙川の3本の川のまわりは見事な

桜の名所。マイ花見マラニックコースでもある。

しかし今は花どころか一枚の葉っぱもついていない

枝だけの桜、枝の隙間から六甲山が見える。

今年もよろしくね。

キロ5分50秒程度で走っているので、ライバルランナーは、

じりじりと遅れている。

夙川を越えると所々で信号で止まる。

冷たいトレーナーはそのたびに時計を止めてくれるのだが

少しタイムラグが出るのでそのたびにライバルランナーが

追いついてくる。 なんか悔しい。

このあたりは灘五郷のうちのひとつ西宮郷、酒造メーカーが並ぶ。

有名なところでは白鹿、白鷹、日本盛など、灘の生一本と呼ばれ

全国にその名はとどろいているが、昨今の地酒、純米酒ブームで

苦戦かな?だが各社いろいろ研究しているみたいです。

そういえば正月の間にしこたま飲んでしまったなぁ。

鳴尾浜沿いをさらに東へ向かう。

信号でのタイムロスにもかかわらず敵は150メートルほど

後方だ。

やがて、鳴尾御影線から武庫川へ出る。

河川敷へ降りて南下、河口へ向かう。

河口で引き返し再び御影鳴尾線を越えたあたりで約20キロ。

ライバルには200メートル以上の差をつけている。

この河川敷ではいろんなスポーツが行われている。

散歩、ウォーキングやジョギングはもちろん、小学生たちが

お父さんとおぼしき人たちに野球やラグビー、サッカーを

教えてもらっている。地域のクラブなんだろうなぁ。

かと思うと近くにある報徳学園の野球部が集団でランニング

していたり、陸上部がえらい勢いで競り合っていたり、

どちらも全国レベルのクラブだから迫力がある。

そんな景色を見ながら北上。

武庫川から仁川へ入る。

このあたりからだんだん登りになってくる。

ライバルは300メートル後方だが差が開かなくなってきた。

仁川の駅を過ぎ、甲山が近くなってきたあたりで西へ折れ、

関学の方へ向かう。ここが大変だ、急な登りと階段だらけ。

後方からあっという間に差を詰めてくる。

差が100メートルを切ったところでやっと坂が終わる。

またフラットになりじわじわと引き離しにかかる。

少し行くと下りになった。

下りのジャン様を知らないかと調子に乗って飛ばす。

これが間違いのもと、ゆっくり走っているからまだまだ

足は残っている。

気持ちよく飛ばせるのでついついやりすぎた。

神呪寺へのお大師道まで来たときには、400メートル以上の差。

あと10キロほどだとルンルン気分で走っていると

短いが少し急な坂を駆け上がった時、がくっ、きたかな。

足全体に痛みが出てきた。

それでもペース的にはまだキロ5分55秒程度は維持している。

差は増えも減りもしなくなった。

35キロを越えるとそのペースもじわじわ落ちだす。

ゆっくり走っても35キロの壁か!

すると後のランナーががぜんスピードを上げる。

そんなわけはないのだがそう感じる。

やばい、最後の勝負だ。

おまけにこの辺からまた信号が多い。

例のタイムラグでみるみる追いついてくる。

くそっ、負けてたまるか。ねばれーっ。

そんなこんなで家まで戻ってくると、39.6キロ

何とか60メートルほどの差を残して勝利。

お疲れでしたとかたい握手を交わす・・・。

んなわけないか。

ガーミンバーチャルランナーとの死闘でした。

年末年始

2008最後の六甲トレイルラン

12月28日  楽ラン新会員のMっくんの歓迎ランをかねて六甲へ出かけた。

彼は摩耶山のふもとに住むトレイル好きのランナーで

四万十100キロも走ったつわものである。

いつもの顔も集まった。

5   

                                                                      

今日は、まず阪急芦屋川から風吹岩を目指す。

このあたりはイノシシがよく闊歩するところ。

案の定、出た!

Bさんの目の前へ、母子3匹のイノシシが飛び出した。

Bさんの悲鳴ともつかぬ叫び声が上がる。

イノシシの方もびっくりしたかもしれないね。

あっという間に駆け去る。

風吹き岩では大阪湾を展望。

少し行ってまっすぐ最高峰を目指さずに水平道へ入り

しばらく気持ちのいいトレイルを楽しむ。

再び元の道の戻り一軒茶屋に向かう。

影にはちらほら雪が残っている。

茶屋で一服、少し腹にも入れる。

さすが標高900Mは寒い。

あっという間に体が冷える。早々に出発。

山上道路を東へ。

山道へ入ったとたん雪だらけだ。

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雪のトレイルを走るのは初めてだ。

走れるのか?

こわごわ進む。

思ったより滑らない。                                             

                                                                                                                   

そこそこのスピードで走れる。

快調に進む。楽しいね。

船坂峠を越え、大谷乗越を過ぎる。

Mっくんも調子に乗ってきたみたいだ。どんどん飛ばす。

一軒茶屋から1時間ちょっとで宝塚まで降りてしまった。

ナチュールスパで汗を流し珉珉で生ビールと紹興酒で乾杯。

冬のトレイルもなかなか楽しかったね、お疲れ様でした。

2009元旦企画

例年通り1月1月は日の出をねらって芦屋潮浜へ向かう。

JR芦屋からjogで20分ほど、7時6分の日の出を待つ。

しかし、東の空の雲が厚い。今年は厳しいかな。

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7時15分まで待つが、

結局あきらめる。残念!

              

                                 

                                 

とりあえず新年の乾杯。

これだけは忘れない。

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今年の初詣、えべっさんへ向かう。

30分ほどで西宮神社。

                                  

十日えびすとは違い、結構すいている。

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本殿へお参りしたあと、

                                                                       

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ようやく日が差してきた。

                                                                                 

露店でたこ焼きとおでんで

一杯ずついただいたあと解散。

                                 

                                                                                   

今年もよろしくお願いします。

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