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2009年2月

菜の花忌

菜の花忌

少し過ぎてしまいましたが、2月12日は菜の花忌でした。

なんのこっちゃ・・・。

実は、作家 司馬遼太郎の命日です。

歴史小説をいろいろ読みあさってきたけれども、家にある

小説の中で一番多いのは、氏の作品である。

もちろん氏の作品の多さもあるが、たくさん歴史小説家と

いわれる人がいるなかで、圧倒的にファンだったことの

結果だと思う。

一番初めに読んだのが何かは忘れてしまったけれど、たぶん

”国盗り物語”だったような気がしますが、彼がかく歴史は

いつのまにか自分の歴史観の大きな部分を占めてしまっている。

歴史学者や歴史研究家の方たちからは司馬史観といわれて

独自の歴史観だといわれていますが、私にとっては

まず司馬史観ありき、あとからそれが氏独特の考え方である

ことを知る、そういう順番でした。

その史観を作り上げたのは膨大な量の資料や文書の調査、

そして実際に現地へ行っての聞き込み(刑事じゃない?)に

よるもののようですね。

また聞くところによると彼は速読の名人だったそうです。

人と対談をしながら一冊の文庫本を読んでしまったとか、

たぶん字を見ながらの要点読みだとは思うが、

すごい速さだったようです。

たしかに資料を調べて、自分なりの流れを作り、

小説にするわけですから、氏の作品の多さから見ても

のんびり読んでいるわけにはいきませんよね。

そして現地調査、書こうとする作品の主要な土地へ実際に

赴き、土地柄、その土地の雰囲気まで調べ上げる。

それは”街道を行く”という紀行文になっているのだが、

小説を読んだ上で、この旅の様子を読むと、また

違った面白さがあって、これにも結構はまりました。

その時その人物が何を考えてどんな行動をとったかを、

今その土地で生きている人たちから何かヒントを

得られないか、そんな旅をしている。

”街道を行く”こと自体が司馬遼太郎のライフワークで

あるかと思うほど旅もお好きだったようですね。

そんな中から生まれた司馬作品。

初めて読み出した時から、毎作品が面白くて面白くて、

読みあさっていましたが、ある程度読んでいった時に、

一番印象に残っていた作品はというと、土佐の戦国大名

長宗我部元親を描いた”夏草の賦”。

司馬氏にとってはたんたんと生み出していった作品の

一つかもしれないけれど、なぜか頭に残った作品でした。

土佐から勢力を広げだし、四国全土を手にしようとした矢先、

信長、秀吉という大きな壁に阻まれ、泣く泣く膝を屈する。

他の三国を手ばなし、また土佐一国に押し込められてしまう。

しかし、それだけではすまず、宮仕えのつらいところ、

秀吉の九州島津攻めの時、あほな上司のせいで、

有能で将来を嘱望されていた最愛の長男、信親を死なせてしまう。

がっくりきた元親は四男盛親に家督を譲り、一気に覇気を

失ってしまう。

この長宗我部信親、享年22歳だった言われるが、

非のうちどころのない青年だったようで、身の丈六尺一寸、

当時男でも160cmほどが普通の時代に185cmは

巨人に見えたかもしれません。

色白柔和にして、勇猛果敢、戦上手で家臣、領民にも

人気絶大。

九州島津氏との戸次川の戦いにおいて、豊臣氏の

軍監・仙石秀久の無謀な進撃命令のため、土佐勢

の主力二千名と共に敵中に孤立してしまう。

この時仙石秀久くんはさっさと逃亡していたそうですが。

何万という島津勢とたった二千人の土佐勢、戦いの結果は

決まっていますが、この時、信親と土佐の重臣たち、それに

剽悍で知られた一領具足と呼ばれる土佐の地侍たちは、

当時でも信じられないような戦いを行います。

重臣たちは全滅、全体の戦死率は7割を超えていました。

普通、軍用語で全滅というのは人が全部死ぬことではなくて

軍としての機能が果たせないことを指します。

だから戦死率で言えばひどい戦いでも3割。

つまりある程度やられれば逃げ出してしまうというのが普通。

だから7割の戦死率というのは誰も逃げず、誰も降参せず

徹底的に戦った証であり、誰よりも相手の島津側が驚き、

元来、勇猛であることに非常に重きを置く家風であることや

他の豊臣軍がさっさと逃げ出してしまった事もあり、

信親の遺骸を丁重に扱って返還し、土佐勢全体に

最大限の敬意を払ったようです。

そんな息子を失った元親の失望は察してあまりあります。

なんにもする気がなくなったとでも言いましょうか。

司馬遼太郎もそんな元親の身になって作品を

書いていたのかもしれません。

私にとっては妙に印象的な一冊でした。

もうひとつ、”坂の上の雲”。

今年から、スペシャル大河ドラマという位置づけで2,3年かけて

完結されるテレビドラマ化されるようです。

司馬遼太郎自身、戦時中は大陸で戦車に乗っていた

こともあって、日本人は何でこんな馬鹿な戦争を

おこしてしまったのかという思いを持ったようで、そのことが

日本人には過去にはもっと素晴らしい人間がいたはずだと

考え、歴史小説を書き始めたという話もあります。

あの戦争の是非もあるし、現在の日本を見ても首をかしげるような

政治家が多い中で、未曾有の国難に際し政治家も国民もひとつに

なってそれに対抗し何とかしのぎきった明治の日本に対し

ある種の憧憬を感じていたのかもしれませんね。

私もこれをはじめて読んだ時に、太平洋戦争を描いた小説や

戦記を読んだ時と比べて国や軍の非合理性を理由にした

損害、犠牲の話が少ないことが読んでいて心地よかった。

ただひとつ日露戦争の中で消耗戦となった旅順攻略戦において

これを指揮した乃木希典をこきおろしてしまっています。

司馬遼太郎にとってこのときの乃木は昭和の日本につながる

精神主義のかたまりのように見えたのかもしれませんね。

ただ明治維新を経て藩の領民でしかなかった民というものが

はじめて日本国民という意識を持ち出した明治の日本は、

いろんな意味で活力にあふれていたんだろう。

愛媛にいた普通の兄弟が兄は世界最強と言われたロシアの

コサック騎兵に対し、矮小な日本騎兵を指揮して少なくとも

負けなかった、そして弟はロシアのバルチック艦隊との決戦において

その作戦を立案し圧倒的な勝利を演出した、またその友人は

俳聖、松尾芭蕉以来の俳人として名を成す。

この三人を中心に話は進んでいきますが、たしかにそこには

かっこいい日本がある。

結局、司馬遼太郎は日本人を大好きでいたかった、そのために

かっこいい主人公を作り続けたのかなとも思う。

彼の作品を読んでて思うのはその主人公の一番のファンは

彼自身であるということ、”龍馬が行く”の中の龍馬を

司馬遼太郎は好きで好きでたまらなかったんだろうね。

丹生山系縦走

以前からねらっていた丹生山系縦走路へ行ってきた。

ここは六甲山系から谷ひとつ隔てて北側に連なる山々で、

もちろん六甲ほどメジャーでもないし、便利でもないので

ハイキングする人も多くないのだが、その分このあたりの

本当の里山の姿を残しているのかもしれない。

毎年、神戸電鉄主催の縦走大会が開かれており、ハイカーの

中では玄人受けするコースのようで、なかなか人気もあるようだ。

また歴史的にもなかなか面白い伝説が残っていて興味は尽きない。

神鉄の縦走は藍那駅スタートで、丹生山、帝釈山、稚子ヶ墓山、

花折山、金剛童子山、黒甲越、屏風谷、八多、神鉄岡場駅までの

27キロだが最近コースが変更になって、岡場周辺の市街地が

省略され、かわりにスタートが栄駅になり、衝原湖からシビレ山に

取り付くようになったらしい。このため藍那駅から丹生山の間も

通らなくなってしまったが、この道は藍那古道ともよばれている。

歴史上有名な源平合戦のうちのひとつ、一の谷の合戦で

源義経は海岸沿いに陣を敷く平家軍に対し裏山から逆落としに

攻撃をかけた。この場所が六甲縦走でも通る旗振り山から鉄拐山

のあたりといわれているが、京都から亀岡を抜けて篠山まで出て

南下し、丹生山から藍那、鵯越を越えてここまでたどり着いたと

言われている。このため義経道という別名もある。

この歴史の道も通らなくなってしまったようだ。

少し残念な気もしますが、今日はこの新コースにしたがって

行ってみる。

10時半ころ栄駅スタート。

朝は天気が良かったのに曇ってきた。夕方は雨らしいし

最後まで行けないかもしれないなぁ。

Photo

ここから衝原湖までは

サイクリングロードを行く。

しかし、サイクリングロードに

なぜか階段がある。

押して上れるようにはなっているが・・・。

ぶつくさ言いながら走っていると、なにやら爆音が聞こえてくる。

なんとバイクのサーキットコース。

Photo_2

静かな山にエンジン音が

響き渡っている。

えーかいな、そばにはゴルフ場も

あるけど、ゴルフしていても

やかましいだろうなぁ。

すぐに衝原湖の周回道路へ出る。

実はこの衝原湖畔には"箱木千年家"という日本最古の民家が

保存されていて資料館のようになっている。

姫路と奈良にもある3軒のうちのひとつで重要文化財に

なっている。

以前から一度行ってみたいのだが、機会がなくていまだ

実現していない。

今日もできたら行きたかったのだが、時間も

押してきたので、あきらめる。

湖の真ん中あたりにかかる橋を渡って対岸へ。

Photo_3

                                                                     

 

                                                                                                                                             

                                                                                 

Photo_4

ここがシビレ山への取付きだ。

すぐに山道、

山の雰囲気は六甲とは

ずいぶん違う。                                                   

生えている植物もだし、見えている岩が苔むしていたり、

苔むした後があったり、やっぱりひっそりして静かな感じだ。

Photo_5

                                                                      

                                                                         

                                                                         

しばらく行って尾根道に出る。

木の高さが低く、明るい感じ、それに若い松が多い。

下草は笹ではなく、ウラジロがたくさん生えている。

Photo_6

そう、お正月の注連飾りに

使うやつだ。

なんとなく山というより

どっかの庭を歩いているような

気になってきた。

そういえば子供の頃、六甲のふもとでも山へ行くまでの

ちょっとした岡や原っぱはこんな感じだったなぁ。

なんかすごく懐かしい感じがしてきた。

なんて郷愁にひたっていると、シビレ山への登りはどんどん

厳しくなってくる。道にはほとんど手は入っていないから、

砂でずり落ちそうなところ、がけ登り、岩登りのようなところ、

谷底へ転げ落ちそうな細い道、いろいろ変化に富んで面白い。

ようやくシビレ山を越え、丹生山へ向かう。

Photo_7

このあたりは少し森が

深くなった感じ、暗くさびしい。

縦走路は丹生山手前を

帝釈山へと向かう。

丹生山頂には丹生神社があるので行ってみたかったが

ここもパス。

その代わりといってはなんだが、丹生城跡の看板。

Photo_8

羽柴秀吉の三木別所攻めの時、

焼き討ちにあった城である。

しかしよくこんな山の上に

城を作るもんだ、それに

トレイルシューズもない時代にわらじで岩やブッシュだらけの

こんな山道を走り回っていた当時の

人ってどんな足をしていたのか。

帝釈山への登りもまた同じく辛い登り。

やっとピーク。

Photo_9

おにぎりタイム。

南を見れば菊水から

摩耶山への稜線が見える。

その手前には鈴蘭台の街並み。

けど空模様が気になる。

雨の降り出しも早そうだし、次の山、稚子ヶ墓山を越えたら

箕谷の方へ降りることにする。

箕谷スポーツホテルに入浴施設もあるみたい。

さて稚子ヶ墓山への登りはまた思いっきりのガレ道。

ここの石たちも苔むしていて緑の道。

Photo_10

石はごろごろ動いて

歩きにくいことこの上ない。

                                 

ここ稚子ヶ墓山は丹生山系の最高峰。

Photo_11 変わった名の山ですが

丹生山のお城が焼き討ちされ

この山まで逃げてきた侍童、稚児たちが

この山でたくさん斬られた。

その時からこの山の名前が

こうなったそうである。

さらに縦走路の次の山は花折山、殺された子供たちを哀れんで

里の村人たちが花を折って供えたところからこの名がついた。

悲しい名前が続きますね。

さてお風呂へ向かって降りるはずが少し道を間違ったみたいで

道があるようなないようなところを降りてしまった。

ただ少し降りすぎてしまったみたいなので風呂はパスして

箕谷の駅へ向かうことに。

駅に着く前くらいから雨が降り出してきた。

降りてきて正解。スタートから約18キロ、ちょっと物足りませんが

初めての山はなかなか楽しかった。

ただ上りも下りも険しくて走るところが非常に少なかったのが

もうひとつでしたが縦走路をもう少し行くと走れそうな感じも

あるし、もう一度完走しに来なくっちゃ。

けど夏は暑いかも・・・。

六甲縦走もどき

先週は30キロだったし、今週は久しぶりに全縦をやろう。

あいた! 帰宅ラン用にリアクターを梅田のロッカーに

放り込んだままだ。LSD用で5Lほどのザックしかない。

これではハイドレーションを入れればいっぱいだ。

着替えを持って出れないので家をゴールにすることにする。

塩屋から一軒茶屋まで行き、そこから保久良山方面へ、

岡本へ下りて家までだと約37~8キロ。

4~5キロ短くなるが、、まぁいいか。

塩屋駅出発、8時20分。

旗振山めがけて登りだす。

P2140060

雲ひとつないいい天気だ。

風も無いし気温も高くなりそう。

今日は、暑いぞ。

ハイドレには2L入れてきたけど、

多分足りませんな。

ジャケットを着ていたがあっという間に脱いでしまい、今日は

再び着ることはなかった。

53分で栂尾山頂上、

P2140067

馬の背の絶景

                                 

                                  

                    

東山で休憩しておられるハイカーが同じような格好をした

人たちが4~5人で行きはったよ、

といってくれた。少し前をランナーが走っているんだと知って

少しだけ足に力が入る。

しかし結局最後まで追いつかなかったけど。

高取山は1時間54分、菊水山3時間4分。

前回の縦走のときより17分速い。

この調子で行けば8時間台前半か・・・、と皮算用。

おにぎりをほおばりながら少し休憩。

ほんと今日は暖かい、休んでいてもそんなに寒くない。

いい気持ち。

ハイキングかなんかの大人数の団体が歩き出している。

あんな団体の後に付いたら大変だが、違う方向へ行ったみたいだ。

アドバンテージが減った。先を急ごう。

菊水を下り天王吊橋を過ぎ鍋蓋山への急坂とだらだら坂。

ピークを越えれば市ヶ原への気持ちのいい下り。

市ヶ原、4時間13分。

さぁ、摩耶山への登りだ。

暑い、給水を十分に取る。昨夏の縦走ではここで痙攣を

起こしそうになった。今思えばあれも脱水状態では

なかったかと思う。ついでにアスリートソルトも数粒。

摩耶山 掬星台 5時間14分。27分前倒し。

P2140076

大きな登りは終わったが

さすがにだいぶ足にきてる。

少しパンをほおばり休憩

してからすぐに出発。

ここからは少し走れるが、スピードは出ません。

三国ヶ池のそばを通り別荘地を抜け丁字ヶ辻。

山上道路を行く。だらだらの上り坂でへたれて、歩いていると

足早のハイカーに抜かれてしまった。

カチン、さすがに頭の中でスイッチが入りました。

小学校手前で抜き返してしばらくがんばって走る。

確かにこの辺が一番だれるところではある。

ガーデンテラス 6時間28分 40分速い。

P2140079

展望台から神戸の町並みを見渡す。

なにやら下のほうでごそごそ。

六甲山の名物、野生のイノシシが

餌あさり。お前も生きとるのう。

さあここからは小さいアップダウンがいっぱい。

ここまできたふとももにはかなりつらい。

前回の縦走は山上道路を走ったのでここでかなり

追いつかれるはずだ。

一軒茶屋到着、7時間ちょうど。31分の前倒し。

P2140080

残念ながら今日はここから

岡本方面へ下山。

このまま走り、前回並みの

1時間半程度で宝塚まで下れば

8時間半くらいでゴールできそうだね。

今年のハセツネまでにこれを7時間半程度まで行きたい。

タイムもさることながら、”孤高の人”加藤文太郎のように

家から塩屋まで走って行き縦走コースを宝塚まで、そして宝塚から

また走って家に戻る、これもやってみたいですね。

そしてあわよくば全縦往復にもトライしたいな。

夢はふくらむ53歳、体がもつかな・・・。

模擬、ハセツネ30K

ハセツネ30Kのコースマップが公開された。

刈寄林道→刈寄山→入山峠→盆堀林道→醍醐林道→和田峠→

 醍醐丸→醍醐峠→市道山 分岐→市歩地→弾左右衛門峰→

 トッキリ場→入山峠→今熊山頂上→金剛の滝上→変電所→

 日向峰→青少年旅行村

かなり厳しいコースになっている。

いきなり刈寄山への登り、3キロ足らずで450m、

すぐに5キロで350mを下る、また間髪をいれず

再び険峻な登り、8キロで550m上ると市道山分岐、

ここからは14キロかけて650mを下ってゆく。

全コースに渡って細かなアップダウンが数知れず。

本レースより厳しそうだね、距離が短いから当たり前か。

ふと思ったのが、六甲縦走路で鵯越からスタートすると、

菊水山のきつい登りがあって、その後摩耶山、最高峰と登り

一軒茶屋から宝塚へ下っていくのとすごく似ている。

高低差も同じような物、ただ細かいアップダウンは

ハセツネ30キロの方が多く、これが一番手強そうだ。

ということで久しぶりの山行はその気になって鵯越から

縦走路を宝塚まで行くことにする。

しっかり朝飯食って神戸電鉄鵯越駅に立ったのが9:30.

同じように電車を降りた登山客が2,3人。

どこまで行かれるのでしょうね。

さぁ、スタート。

アップにもならないうちに菊水山への登りが始まる。

心臓バコバコ、息ゼイゼイ、何回来ても辛いですね、ここは。

頂上、10:07。

ピークを過ぎればやっと下りを楽しみながら飛ばす。

天王吊橋を渡りすぐ鍋蓋山。10:38。

ここからの下りは縦走路でもなかなか気持ちのいいところ。

あっという間に市ヶ原。10:59.

さすがに真冬はあんまりバーベキューもしていないようです。

さて摩耶山への登り、ここもなかなか厳しいですが、

マイペースで進む。掬星台、12:00。

さぁ、腹ごしらえ、やっぱりおにぎりが良いね。

さすがに止まっているとあっという間に寒くなる。

休憩もそこそこに、出発。

オテルド摩耶、アゴニー坂、丁字ヶ辻、六甲山ホテル、

記念碑台、六甲山小学校、ゴルフ場を経て

ガーデンパレス、13:13。

展望台から眺めるも今日は遠くはかすんでる。

止まると寒いので休憩なしで行こう、

ちょっと、うどんが欲しかったかな。

ここからは山上道路を行かずに山道を小さなピークを

踏みながら進む。雪が結構残っていて凍結している。

危うく転倒しそうになった。要注意、ゆっくり進む。

最高峰だけはパスして、一軒茶屋到着。

13:43、さぁ残るは楽しい楽しい宝塚への下り。

年末の時は思いっきりスピードを上げて下ったが、

今日は下りを楽しみながら行く。

実はだいぶ足にきている。

昨日の18キロがきいているのかな。

大谷乗越しで一服してドラ焼きを食べていると、ハイカー3人に

追い越される。

”宝塚まで行かれるんですか、あとどれくらいですか”と

おっしゃるので、8キロぐらいですかね、と答えたものの、

よくよく考えると、6、7キロしかないような・・・。

先へ行かれたので、しばらくして追いかけると、

なかなか追いつかない。だいぶ先まで走ってやっと

追いつくと、先ほどのハイカーがなかなかのスピードで

進んでいる。  速い・・・。

追いこさしてもらうと、ついていきたいわーと

独り言のように・・・。よかったらどうぞと心の中で言っていると

私にはでけへんけどだって、がくっ。

おもろいおばはんや!

ということでラスト頑張って宝塚到着。

15:13。

鵯越から30キロ、5時間43分。

縦走の時のラップよりは少し速いけど、もう少し縮められそうだ。

ハセツネ30キロは5時間半くらいで行きたいね。

帰宅ラン

ハセツネに向けての課題のうちのひとつ、ロードでの

走行距離をのばすために通勤ランを考える。

職場は桜ノ宮だが近くのどこかを拠点に自宅までの23キロ前後。

贅沢を言えばシャワーがあって、着替えれて、荷物が置けて、

24時間出入が自由で、料金が安くて・・・、んなとこあるか!

とはいうものの一応ネットで不動産を探すと、月1万5千円程度で

敷金、礼金なしのアパートはある。

ネットに出ないような安アパートを根気よく探せば

1万円を切るようなところもありそうだ。

しかしこのご時世、月一万円は痛いです。

コインロッカーを考えるも、1日単位ですから荷物などを

置きっぱなしにすると、延長料金などがかかり、高くなる。

サウナなんかでロッカーを借りれないかとか、友人の部屋を

一部屋借りれないかとか、いろいろ検討するもどうも

うまくいかない。

結局、一度やってみようと思ったのが、阪急梅田駅の

ステーションマイロッカー。

形はコインロッカーそのままですが、月極めのロッカー。

1ヶ月5千円、3ヶ月1万2千円、6ヶ月2万1千円。

半年借りればかなりお得ですが、高いか安いか微妙な値段。

聞くところによるとランナーもかなり使っているらしい。

とりあえず1月やってみることにする。

もちろんロッカーだけですから、出勤ランは無理。

汗みどろで仕事はできない。

となると、帰宅ランだけですね。

仕事を終え、作業服でロッカーへ向かう。

近くのトイレで着替えて、作業服をロッカーへつっこみ、

19:30 阪急梅田駅西側からスタート。

十三筋を北上、阪急十三から加島、神崎橋、次屋と進み

山幹通りへ入る。ここからはひたすら山幹を西進。

立花、武庫之荘、西宮、阪急百貨店だ、ここはまだ

行った事がない。今度見物に来よう。

夙川から芦屋を過ぎると山幹で唯一つながっていないところ。

芦屋川を渡る橋とその西側だけが残されている。

ここは迂回してJRの南まで下りて電車沿いを家まで。

22:00ちょうどぐらい。

約2時間半、23.0キロでした。

まだ日曜日のフルのダメージが残っている。

足がだるい・・・。

がんばって続けなければ。

さてさて週末は久しぶりに山へ行こう。

紀州口熊野マラソン

紀州口熊野マラソンのフルを走ってきた。

天気は良かったが非常に強い風に悩まされながら

結果は4時間4分39秒。

3時間50分ぐらいを狙っていたが、昨年の篠山と同じように

36キロ地点から両足が痙攣、大きくペースダウン、

早い話が撃沈。フルに対する自信を失いそう・・・。

昨年は電解質不足による脱水症状ということだったので、

痙攣止めの錠剤も携帯し、エイドでの給水もしっかり

摂っていったが、結果は一緒。

つまりは実力不足ということか。がくっ。

楽ランから出場の女性陣は元気一杯。

T姐さんは年代別で国際ランナーについで2位、

Kみチャンは同じく4位、嫁もPBとがんばった。

それにひきかえ男性軍3人はそろいもそろって討死。

なさけないですなぁ。

でもこの口熊野マラソンも不況の影響を受けているのか

大会全体が少し元気がなかったような気が・・・。

いい大会だからがんばって欲しいね。

一番盛り上がったのはなんと近藤真彦、あのマッチが

プライベートで5時間ほどで完走したらしく、ステージの上で

インタビューが始まると、多分昔ファンだったおばちゃんたちが

わぁわぁ、きゃぁきゃぁ、大騒ぎ。

Eeca                                                                  

                                                                   

                                                

                                              

                                             

年をとってなかなか渋くなってきたみたいですな。

それと今回は会社の同僚が応援に来てくれた。

ちょうど近くで現場が出ていて、泊りこみでやってるらしい。

この日は休みだったようでゴール手前の橋のところで

自転車で併走してくれた。ついでに写真も。

ありがとうね。

そんなこんなで最後に会場内にある風呂を使わせてもらい

会場をあとにする。全員同じ車に乗っているので無理やり

神戸まで拉致、我が家の近くの居酒屋磯子屋で打ち上げ。

丸亀ハーフに参加していたBガさんもかけつけ、またまた

ひと騒ぎ。

T姐さんも言っていたように笑い死にしそう。

皆さまどうもお疲れ様でした。

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