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2009年9月

ついに来た~っ!

10月11~12日に行われる”日本山岳耐久レース”の案内と

ゼッケンが来た。

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昨年末に挑戦してみようと

決めてから、思ったことの半分も

できていないような気がするが、

いよいよ覚悟を決めなければ・・・。

先週の六甲縦走往復のダメージが結構あって、今はジョグ程度

の練習で疲労抜きに徹している。

思えば今年から始まったポイント制のおかげで、春には

東京まで遠征して、ハセツネ30Kを走り、また日本山岳救助機構に

入会してポイントを獲得、ポイント枠での出場権を手に入れた。

おかげで早いもん勝ちの申し込み合戦はやらなくてすんだ。

そして遠征の折には、楽ランEASTの連中とのマラニックと、

懇親会まで開いていただいた。

夏にはどらごん社長に試走のお誘いを受け、またまた遠征。

1日目は社長、2日目はしゅうすけさんの案内で

全コースの約70%程度を走ることが出来た。

自分でもそれなりに練習はしてきたつもりだし、こうして

たくさんの人にお世話にもなって、ようやくスタートラインに

立とうとしている。

今はわくわくして仕方がない。

もう後は体調管理だけだ。

しょうもない風邪を引かないように、新型インフルエンザにも

気をつけなくっちゃね。

不滅の法灯

ブログ上では前後するが、縦走往復の前日、京都の比叡山

延暦寺へ行って来た。

日本の仏教の大本山にもかかわらず、神社仏閣めぐり好きにも

かかわらず今まで行ったことがなかった。

以前に一度マラニックでそばをかすめて走ったことがある程度。

今回はランなしで訪れてみた。

比叡山延暦寺。

伝教大師最澄によって開かれた平安仏教の本山。

最澄といえば弘法大師空海を連想するが、この二人、唐への

留学は同じ船で出かけている。

ただその地位は全然違い、最澄はエリートコースを歩んできた

超有名人で桓武天皇のブレーンにもなっているほどのお方、

かたや空海は自費で旅費を捻出して参加の貧乏学生。

空海さん自身もこの留学について自ら”虚しく往きて実ちて帰る”

と表現している。

つまり身も心もボロボロで行って、バリバリで帰ってきたよ

ということ。

往路はよほどみすぼらしかったのかもしれないね。

しかし唐において密教の第七祖恵果和尚に師事し、

師が亡くなった時には全弟子を代表するような地位にまで

なっていたそうです。

つまり密教の本流を学び、数々の経典なども手に入れ、

2年後に帰国する。

一方の最澄さん、エリートさんらしく多方面にわたり

お勉強している。

天台教学、大乗菩薩戒、禅、そして密教も・・・。

彼の場合は1年後に帰国していたのだが、空海が帰ってくると

どうやら密教については空海の方が上手だということに気づく。

しかしそこはまじめな最澄さん、エリートの見栄をはる事もなく、

密教においては空海に対し師に対するがごとく接し、

経典の貸出しも受けて研究に取り組む。

しかし空海が貸出しを断ったり、最澄の弟子が空海へ

くら替えしたりして、徐々に対立しだす。

この頃密教による加持祈祷が平安貴族の間ではやっていて

空海の密教は京の東寺を道場としていたので東密、

最澄側は天台ということで台密と呼ばれて競い合う。

いずれにしても新興宗教だった奈良仏教が平安仏教として日本に

しっかり根付きだす頃の熱い争いです。

そして空海さんは真言宗、最澄さんの弟子円仁、円珍により

日本天台宗の基礎が築かれ、この延暦寺で修行した法然、栄西、

道元、親鸞、日蓮などがそれぞれに宗派をたて、仏教は

発展していく。

Photo 最澄さんの教えの根本

「個々が一隅を照らす人になる」

つまり一人一人がたとえ

わずかでも精一杯輝ければ

周りはどんどんよくなっていく

という教えです。

                      

                    

延暦寺には開かれて以来、えんえんと守り継がれてきた

”不滅の法灯”がある。

Photo_2それは 総本堂

国宝根本中堂の

本尊薬師如来像

の前で光り輝いている。

              

正確には織田信長の焼き討ちに遭っていったん途切れたが、

他の寺に分灯されていたのを再び戻して復活したようです。

浄土真宗の本願寺も信長と戦っているし、延暦寺も

浅井、朝倉に肩入れして信長を随分苦しめていた。

確かにこの頃は宗教が武力を持ち、時の権力者に対抗する

図式は時々見受けられますが、延暦寺にも生臭坊主も

けっこういたようですし、信長さんもついに堪忍袋の緒が

切れたんでしょう。

Photo_4

歴史の波を受け続けた

延暦寺にはさまざまな史跡が

一杯だ。

これは大塔宮護良親王の碑。

建武の新政の後醍醐天皇の

第三皇子で延暦寺の最高の

地位である天台座主にまで

登った人、これも延暦寺の武力を鎌倉幕府を倒すために

利用しようとした後醍醐天皇の遠謀であったといわれ

親王もそれに応えて僧侶としての修行そっちのけで、武芸の

鍛錬をしていたような天性勇武の質だったらしい。

しかし結局足利尊氏の弟、足利直義に暗殺されてしまう。

いつまでも興味は尽きませんがそろそろ帰ろうとロープウェイ

方面に向かっていると、なんか見覚えのある景色。

Photo_5

以前に土砂降りの中

マラニックで通った道に出た。

                 

                  

                   

少し開けた広場から北側に広がる山々がよく見える。

天気がよく、空気も澄んでいてかなり遠くまで見通せる。

Photo_6

比良山らしい。

                 

                    

        

Photo_3  

これも焼き討ちの時に

殺された人の供養塔かな。

女性や子供たちまで

やられたそうだからね。

Photo_7

そのすぐそばには

こんなきれいなトレイルが・・・。

以前は土砂降りで全然

わからなかったけれど

おもわず走っていきたくなるような道です。

ずっと歩いていると、走りたくなってきた。

六甲全山縦走往復

ハセツネが近づいてきた。

以前から最終調整は六甲全山縦走往復と夜間縦走と思っていた。

そんな話をできるのは・・・、Mっくんでした。

彼はウルトラの経験も豊富だし、もちろん六甲はしょっちゅう

うろついているしトレイルレースも数多く出場している。

ひとりでやれば絶対に途中くじけるのは目に見えている。

ぜひぜひ付き合ってもらわなければ・・・。

そんな話をしているとけっこうその気!

ということでやることになった。

Mっくんが楽ランのイベントとして立ち上げてくれた。

タイトルは六甲逆縦走(宝塚→塩屋)。

ただしオプション付、それは前夜10時発で塩屋から

宝塚までの夜間走。

つまり徹夜で宝塚へ行き、そのまま朝宝塚を発って

引き返してくるというもの。

逆縦走だけの参加者は女性3名。

宝塚発は7時半の予定、前夜10時スタートだと

前半9時間半で行かなければならない。

夜間走、そして往復を考えるとちょっと苦しいかなと思い、

スタートを9時半にしてもらう。

メールで女性一人欠場の連絡。

塩屋へ向かう電車の中でMっくんと出会う。

いよいよスタート。

塩屋の市街を抜けるとすぐ山道、真っ暗です。

ヘッドライト点灯。

思ったよりよく見える、しかし当たり前だが照らされている所

以外は真っ暗。すごく集中します。

いつもの縦走より時間が速く流れる感じ。

目の前の土、岩、草を見つめながら道程が進んでいく。

しかし下りのスピードは落とさざるをえない。

かなり恐怖感を感じる。

つまり、明るい時は直接見ているところ以外にいかに

視界でまわりの情報をつかんでいるのがよくわかる。

序盤のメインイベント、須磨アルプスの馬の背も

まわりが見えなければただの道。

高取山、菊水山、鍋蓋山と順調に進んでいく。

Photo

鍋蓋山

予定の10時間では

いけそうだな、

などと言いながら一服。

神戸の100万ドルの夜景が

1万ドルずつ程度が時々見える。大龍寺山門、市ヶ原、摩耶山、ガーデンテラス

そして最高峰。

Photo_2

夜の写真は全然

面白くないね。

                 

                  

そろそろ空が明るくなってきた。

宝塚への下りは明るいところを走れそうだ。

7時20分宝塚温泉到着。

往路9時間50分。

宝塚温泉前でへたっているとJママとKばっちさん到着。

誰も来なかったらMっくんと二人でビール飲んで

帰っていたかも・・・。

これは二人の共通意見です。

さぁ、気持ちを切り替えて、復路だ。

余裕なんて全然無い、足がどこまで持つか、

気持ちがいつ萎えるか、それだけです。

塩尾寺への登りで置いていかれそうになる。

女性二人は元気、当たり前か。

Kばっちさんは東六甲の登りもどんどん行く、Mっくんが追う。

Jママは練習不足もありちょっと辛そう。

何とか最高峰までは行ったが、そこから下山。

あとは三人行。

Photo_3

摩耶山掬星台。

100万ドルの夜景は

ここからの景色。

昨夜も綺麗かったよ。

などとといいつつ通過。

天狗坂、稲妻坂と厳しい下りを行く。

この頃は足も麻痺してきたのか、けっこう調子よく下れる。

しかし鍋蓋、菊水を越えた頃からどうしようもなく辛く

高取山にかかる頃には最高潮。

しゃべる気もうせて、ただもくもくと進むだけ。

何とか妙法寺を抜け、東山へかかったところでKばっちさんが

時間の都合で下山、遅くてすいませんでした。

彼女は強かった、普通に縦走すればゆうゆう完走でしょう。

もう後はたどり着くだけ。

そして8時数分前、スタートから約22時間30分、ついに

塩屋駅まで帰ってきた。

距離にして約90キロ、累積標高約6400メートル。

ハセツネに向かって大きな自信になりました。

Mっくん、Kばっちさん、Jママ みんなに”ありがとう”です。

水都大阪 渡船マラニック

大阪には渡し舟がある。

区で言えば大正区、港区、この二つの区は

言わば川に囲まれた島。

もちろん橋はいくつもかかっているが、

同時に渡船も運行されている。

港湾内を往来する船を通す為に橋の高さがかなり高くなるため、

歩行者や自転車が通行しようとすると無理があるところから

渡船が利用されているそうだ。

昭和10年頃にほとんどが市の直営になったのだが

渡船場31箇所、保有船舶69隻もあったらしい。

現在は8箇所に減ってしまったが、地元の人たちの足として

欠かせないものであるとともに、繁華街や観光地では

見られない、普段着の大阪に触れることができるスポット

として、静かな人気を呼んでいるそうだ。

さてこの8箇所の渡船をすべて利用しようという

イベントに参加、もちろん渡船と渡船の間は

すべてランニングでつなぐ、題して”渡し船マラニック”。

このレトロな響きにつられて14名もの物好きが大正駅に集合。

まずは木津川をわたる落合上渡し。

Photo

一番上流の渡しです。

すぐ北には 木津川水門がある。

こんな船です。

ここを渡ると西成区。

しかし10分以上待って

乗船時間1分ほど、

これって・・・。

少し走って次は落合下渡し。

Photo_2

大正区へ戻る。

次の船まで

あんまり時間がない、

飛ばせ~っ!

             

           

              

千本松渡し。

Photo_3

再び西成区。

名前からすると昔は

松がいっぱい生えていて

その間から渡し舟が

ぎぃ~こ、ぎぃ~こ

と漕ぎ出て行く絵を

想像してしまいました。

渡船の上空35mには千本松大橋がかかっています。

その高さまで上るのに橋の両側はぐるぐる円形のスロープ

になっていて通称めがね橋と呼ばれているそうです。

確かに歩行者があそこまで上って橋を渡っていたら

何分かかるかわかりませんね。

走りながら住之江区へ入る。

次は木津川渡し。

Photo_4

ここは渡船に乗るみんなと

別れてMっくん、Mチョと

三人で橋を走って渡る。

橋まで駆け上がるのが

つらい、心臓バコバコ。

下りるほうはめがね橋同様、

円形スロープでくるくる下りてくる。

目が廻りそうだし、やな感じ。

下りたところにこんな物が。

Photo_6

飛行場だって。

大正12年から昭和14年まで

この辺にあった水上機、

陸上機両方の飛行場

だそうだ。

              

              

下りるとまたもや大正区。

船町渡し。一番短い航路の渡船です。

Photo_7                    

                 

                  

                  

                  

                 

                   

                

千歳渡し。

Photo_10

ここは珍しく、元々あった

橋を撤去した時に

新しく設けられた

渡船だそうです。

港湾整備のため

のようですね。

               

次は甚兵衛渡し。

Photo_8

港区に侵入。

ここは人の名前がついていて、

そのいわれを調べてみると、

この川岸にはハゼの木が

数千本も植えられていて

紅葉の季節にはたくさんの

人でにぎわい、紅葉狩りと

称しての宴会もよく開かれていた。

そんな客を目あての甚兵衛の小屋という茶店があって

そこから甚兵衛渡しと呼ばれるようになったそうだ。

次は天保山渡し。

有名な日本で一番低い山です。標高4.53メートル。

2等三角点があり国土地理院発行の地形図にも

山名がのっている立派な山です。

どころか山岳会も結成され登山認定書も発行されるし、

なんと山岳救助隊まであるそうだ。

遭難者(三角点を見つけられない人)を案内するのが

主な活動らしい。遊び心があっていいですね。

ここを渡ると此花区。

ユニバーサルシティ駅そばのコンビニで給水、一服。

USJへ向かう人でにぎわっている。

さて次に向かうは安治川トンネル。

走り出したが影がなく暑い。

走って止まってを繰り返しているから足も重い。

ようやく到着。

Photo_9

ここも元々は渡し舟があったが

廃止されトンネルに

変わってしまったところ。

つまり川底の下を

通っているトンネルです。

かなり交通量は

多いみたいだ。

さあ今日の入浴は道頓堀、ビールを頭に描きながらラストスパートだ。

さっぱりした後は王将で乾杯。

主催のKやん、お疲れさんでした。

延長戦も含めて楽しいイベントありがとさんでした。

京都でウルトラ対策ロング練習会

京都の北山を走ってきた。

Mりもさんの企画だが彼女の所属するFRUN、や楽ランその他

いろんなつながりのラン仲間が13人、出町柳に集合。

にぎやかに出発だ。

まずは賀茂川の河川敷を北上、しかし朝から強烈な日差し、

影もなく暑い。

Photo

まだまだみんな元気。

Bさんは京都で学生を

やっていたのでいろいろ

解説してくれる。

MKタクシー本社の食堂は安くてボリュームたっぷり、おまけに

?十年価格は据え置き、今時えらい!

彼の母校のグランドが見えてくると、講義を受けたあと

ここまで遠くて、最近の学生は何で移動してるのかな、等々。

Photo_4                                       

ようやく林道に入り木陰が

できる、直射日光から

逃げれればかなり涼しいね、

もうすぐ秋だ。

大岩から夜泣峠、文徳天皇の第一皇子 惟喬親王が

幼い時、乳母に抱かれて二の瀬に出ようとして、ここで

一夜を明かしたが、親王が夜泣をされたので

峠の地蔵に祈ると泣き止んだという伝説から

夜泣峠と呼ばれるようになったそうである。

Photo_10

惟喬親王は、長子であり

聡明な親王であったにも

かかわらず、時の権勢家、

藤原良房の娘が産んだ

第四皇子惟仁親王に皇太子の座を奪われ、

不遇の人生を送った人。

良房に命をねらわれるようなこともあったらしく

住居も転々とかわっている。

そんな中、在原業平の伊勢物語に登場したり、

ろくろでお椀などを作る職人、木地師と呼ばれる人たちの

業祖とされていることなどから、なかなか面白そうな

人物のようだ。一度詳しく調べてみよう。

Photo_6

守谷神社、これも

惟喬親王を祀った

神社らしい。

さて道程は二ノ瀬から

鞍馬へ向かう。

Photo_9                                 

                                  

                                  

                                 

                              

Photo_5

貴船神社参道の鳥居。

そばを流れる川が

涼しげで美しい。

鞍馬へ到着。

しばらく休憩、おにぎりをぱくつく。

みんな、饅頭、だんごなどを仕入れている。

さあ次の目標は天ヶ岳だ。

本日前半の山場、標高768mだ。

山道に入るとすぐに薬王坂。

Photo_7

昔、伝教大師最澄が

薬王如来の像を彫り

比叡山へ帰路

この坂を通ろうとした時、

薬王が姿を現したのでこの名がついたそうな。

ここを過ぎるといよいよ本格的な山道だ。

全体的には登り基調だが、けっこうアップダウンが多い。

坂自体もそんなに険しくはないがそこそこの坂が長く続く。

なかなか厳しい。

しばらく登ったところでメンバーに異変、気分悪くなって

座り込んでしまった。

軽い脱水のようだ、元々体調も良くなかったらしい。

このまま天ヶ岳を越えて大原までは行けそうにない。

もう一人時間の都合のある人と一緒に鞍馬へ

引き返すことに。残念ですが・・・。

もう頂上か、もう頂上かという思わせぶりな道が続き

やっと天ヶ岳のピークへ到着。

Photo_8

といっても林の中で

展望は一切ききません。

ここでも先頭と最後尾では

10分以上差が付いてきた。

さあ今度は大原への下りだ。なかなか楽しく下れそうだが、

道がややこしそうなのでMりもさんの指示に従い

小刻みに止まりながら下りていく。

気持ちよく走れるところが多い。

今日はMっくんが上りも下りもずっと先頭だ。

下りはなんとかついて行くが、登りはあっという間に離される。

ちょっとレベルが違いますね。

快調に下って寂光院でトイレ休憩と梅昆布茶を

飲ませてくれるところがあったので、みんなでいただく。

もちろん味見してから買ってくださいという意味だが

誰も買わない。

Bさんが気にしてひとつだけお買い上げ、やさしいね。

少しだけ走って大原でお昼にする。

コンビニへ入るとなんとおにぎりが売り切れらしい。

ジャンは持って行っていたので良かったですが、

みなさんカップめんやパンなどでなんとか昼食。

走り出すと胸焼けかもね。

食べながらあとのコースの検討、

時間的にも今から比叡山へ上るのは厳しそうなので、

瓢箪崩山を越えて岩倉へ出て出町柳を目指すことになった。

叡山がはずれてほっとしている奴も何人か・・・。

瓢箪崩山は叡山に比べればかなり低いがそれでも

標高も下がり温度も上ってきて登りはまた汗が吹き出す。

岩倉への下りもなかなかおもしろく、Mっくんと二人で飛ばす。

やっぱり速いわ。

下りきるとかなり温度が高い、風もない、あっつー。

あとは市街地と河川敷だけ・・・。

あともう少しという気になってみなさん結構飛ばす。

暑くて暑くてたまりません、少し遅れながら

ようやく出町柳に到着です。

たどり着いたメンバーで記念撮影。ご苦労さんでした。

近くのレトロな学生街の銭湯”東山湯”でさっぱりした後、

近くで乾杯。

このビールだけはたまりません。

例によってああやこうやと、最後には高石ともやらしき人も

登場してお開き。お疲れ様でした。

(この後おバカな三人組は京都在住の方と

親睦を深めていたとかいないとか)

キャンプの前に醒ヶ井

楽ランのイベントで滋賀県は米原のグリーンパーク山東へ

キャンプに行ってきた。

ダッチオーブン料理で宴会やって、あくる日は長浜で開かれる

琵琶湖ジョギングコンサートに出場しようという企画。

その名の通り3キロと10キロのジョギングと高石ともやの

コンサートがひっついた大会で、マラソンといわずジョギング

と銘うってる通り、真夏の暑い時、がんばらずに湖東長浜の

景色を楽しみながらジョギングしようという大会です。

参加賞は月並みなTシャツだが、お土産にもらえる土地名産の

ぶどうと高石ともやのコンサートにつられて結構人気の

高い大会で、今年も3000人ちかくが参加していた。

宴会の方は全部で五つあったダッチオーブンからくりだされる

数々の料理と、ビール、シャンパン、ワイン、焼酎と次々に

空いていくお酒、ギターとバンジョーと三線と音の方も

たっぷり、ちょっと騒ぎ過ぎでクレームも有ったとか無かったとか、

幸い出入禁止にはなりませんでしたが・・・。

この宴会とジョギングコンサートはさておき、このキャンプ場へ

行く前に、米原インターのそばに醒ヶ井という旧中仙道の

宿場町に寄って、観光マラニックをやってみた。

この町がなかなか面白かったので紹介します。

ここは嫁が行きたいといっていたので寄ってみたのだが、

少し先に出ていたBさんも誘って3人でうろうろすることに。

醒ヶ井の宿、お江戸は日本橋から数えて61番目の

宿場ですJR醒ヶ井駅の駐車場に車を止め、

売店で地図を手に入れ出発。

Photo_4

小さな町だからすぐ廻りきって

しまうかもなどと言いながら

走り出す。    

                                          

                                             

Photo

まずは松尾寺、道端に普通に建っている古い民家

というたたずまいだが、説明を見ると寺の中には

国の重要文化財、滋賀県の指定文化財、

米原市の指定文化財がごろごろしている。

次に出てきたのが明治の建物らしきこれ。

Photo_12

現在は醒ヶ井の宿の資料館、

元々は郵便局だったらしい。

そしてこれを設計したのが

ウイリアム・メレル・

ヴォーリス、滋賀県へくると所々でよく耳にする名前です。

一番有名なのはあのメンソレータムを作っていた近江兄弟社の

創設者の一人です。

多彩な才能の持ち主だったらしく、英語の教師として来日したが

宣教師、実業家、医療、建築設計と、その業績は多岐にわたる。

特に彼が建築家として設計した建物は当時の最先端であり

名建築とされているものが多い。

それは全国に及び、よく走りに行く六甲山では、山上の

神戸ゴルフクラブのクラブハウスは彼の設計だし、山上に

点在する別荘の中にも彼の設計による物が多い。

大阪の心斎橋の大丸もそうであるし、少し前に残す

残さないで大問題になった豊郷小学校の校舎も

ヴォーリス建築である。なかなかたいしたおっさんだ。

ということでここ醒ヶ井の郵便局も彼の作品でした。

小さな町だが見所がいっぱい、走っている暇が無い。

醒ヶ井は湧き水の町、

Photo_6湧き水が流れていく川が

あるが、この水が

とてつもなくきれい、

冷たく澄み切った水だ。

Photo_2

十王水、高僧浄蔵法師が

水源を開いたそうな。

きれいな水にしか生えない

という梅花藻がいっぱい、

花が咲いているものもある。

Photo_11

またこの清水には全国でもこの辺りと岐阜県の東部

でしか生息が確認されていない

Photo_7ハリヨという魚がいる。

水温20℃以上では

生きれないそうだから

水が湧き出すところから

遠くへは離れることが

できない。寿命の1~2年を湧き水の廻りで過ごすようだ。

もちろん絶滅危惧種です。

さて次は了徳寺の御葉付銀杏、なんと銀杏の木が天然記念物?

Photo_3

ふつうの銀杏とは違い

枝が垂れている、

珍しい銀杏なんででしょうね。

Photo_13 20℃以下の水が流れる

川の上はすごく涼しい。

                              

                            

                               

Photo_10                                                                  

                                                                  

中仙道、

                                    

                                 

Photo_9                            

                                     

                                        

                                       

                                    

Photo_18日本武尊(ヤマトタケル)像、

実はここ醒ヶ井という地名は

ヤマトタケルの故事が

由来となっている。

                                    

神武以来、欠史八代を経て実在の最初の天皇といわれる

崇神天皇、その後、垂仁、景行と続くが、この景行を

父とするのがヤマトタケルノミコト。

日本武尊、倭建命などと書くが、実の兄を

殺してしまったとか、乱暴者としての逸話を

たくさん持つ人である。

そして彼の足跡も全国に数多く残されている。

九州から東遷してきて奈良に入ったヤマトが全国に勢力を

拡大する戦いを担ったんでしょうね。

九州から東国まで戦い続けた彼は最後に伊吹山の神々と

戦うことになる。神々といっても多分この辺りに勢力を張る

豪族なんだと思いますが・・・。

しかしこれがかなりの強敵だったようで、彼は傷つき

高熱を発して、ここ醒ヶ井の辺りにたどり着いたらしい。

そして気を失ってしまった彼はここに湧き出す泉によって

目を醒ましたと伝えられている。

そしてここから大和を目指したがすでに病を得ていた彼は

帰り着くことなく三重で終焉を迎えたといわれている。

Photo_16

その泉が居醒の清水、

醒ヶ井という地名もここから。

また彼が腰掛けた岩、

鞍を置いた岩なども

残されている。

もう少し行くとこんな石碑、

Photo

醒ヶ井の宿の東の入口です。

                                     

                                     

                                     

さあ引き返して今度は西へ向かう。

西行水(泡子塚)

Photo_19

伝説では、西行法師

東遊のとき、この泉の畔で

休憩されたところ、

茶店の娘が西行に恋をし、

西行の立った後に飲み残しの茶の泡を飲むと不思議にも

懐妊し、男の子を出産。

その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休憩したとき、

娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して

「今一滴の泡変じてこれ児をなる、

もし我が子ならば元の泡に帰れ」と祈り、

水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢をすすぎてやみん

と詠むと、児は忽ち消えて、元の泡になりました。

西行は実に我が児なりと、この所に石塔を建てたということです。

今もこの辺の小字名を児醒井といいます。

伝説はこうですが事実はどうだったんだろうかと想像すると

彼の呼んだ歌の通り、法師といいつつ浮世の垢をいつまでも

ぬぐいきれない罪作りな一人の男が浮かんできました。

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宿場はすぐに抜けてしまった

ので3キロほどいくと

養鱒場があるというので

足をのばすことに。

するとそこへ向かう道にはやたら木彫りの文字が・・・。

この辺りは仏壇などを作る為に木彫りの技術者たちが

作った集落らしい。

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少し仕事場をのぞく。

                            

                              

                              

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いぼとり地蔵だって。

霊仙山登山道。なかなか面白そう、走れるかな。

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峡谷を川に沿って登っていくと養鱒場に到着。

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そろそろ腹減った状態

なのですぐに引き返す。

                                          

                                              

醒ヶ井の駅までかえりお昼を食べよう。

駅前には水の宿駅といって近所のお母さん、おばあちゃんたちが

作るお惣菜をバイキングで食べさしてくれるところがある。

これといって特別の料理ではないが食材の味を生かして、

どれも普通においしい。

車運転中なのでビールを飲めないのが思いっきりつらかった。

さあ、キャンプ場へ突撃だ。                               

                                                             

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