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2010年6月

梅雨にもめげずに六甲山、晴れ男、晴れ女求む

うっとおしい天気が続きますね。

楽ランにトレイルイベント立ち上げたものの、天気予報を

みては、一喜一憂の毎日。

雨だ、曇りだ、晴れだ、また雨だ。

天気予報はころころ変わる。

結局雨か曇りかよくわからない天気、降水確率

30~50%。 雷はなさそうなので決行する。

今回は東六甲を攻める、夙川を北上して北山の植物園

から、北山ダムへ、鷲林寺から観音山へ登り、奥池へ

降りる。

蛇谷を登り、土樋割り峠から蛇谷北山を越えて

石の宝殿へ。

ここから縦走路を宝塚へ下る約20キロのコースです。

今回はラントレ関西からも若干名参加いただき

総勢20名の団体さん。

夙川駅に集合したのは16名、あとの4名はプレ・ラン

と称して本番の前に8キロほど山を走っている。

ようやる・・・。 しかしちょっと遅れているようだ。

とりあえず苦楽園まで進み、到着を待つ。

全員そろったところで簡単に自己紹介をしてから

進みます。

まずは北山の植物園まで、この季節けっこうお花が

きれいなので記念撮影・・・、あちゃぁ、充電していた

カメラの電池を入れてくるのを忘れてる。  

というわけで今回は写真なし。

Bガさんにお願いしてパチリ。

北山ダムへ向かう道はちょっとしたトレイル。

雨はしれているが道は川や池になっている。

ダムについた頃にはみんなトレイルシューズの

色が変わっている。 

水道もあったので一服しながら泥落とし。

ここから少し舗装路を行くと鷲林寺。

山号に六甲山の名がつくお寺です。

この鷲林寺、なかなか古いお寺で、時代時代で

いろいろ話が残っているようなので紹介しますと、

833年、淳和天皇の勅願にて弘法大師空海による

開基とされています。

空海がこのあたりに観音霊場を建立しようとしていると

廣田神社にてお告げがあり、西の山に向かう。

すると口から火を吐く大鷲が現れ、行く手を阻む。

空海は加持祈祷によりこの大鷲を桜の霊木に

封じ込めた。

すると観音様が現れたので、その姿を写してその桜の

霊木にて十一面観世音菩薩像を刻み、寺号を

鷲林寺と名付けたそうです。

その後、貴族寺院として大変栄え、一時は寺領

70町歩、塔頭76坊の大寺院に成長する。

しかし戦国時代ごろには寺領は取られてしまい、また

荒木村重を攻めた織田信長に焼かれてしまった

そうです。

その時、有馬温泉まで逃げた僧侶たちが坊と呼ばれる

温泉宿を造ったとも言われています。

その後、小さなお堂を造り観音堂としましたが、住職も

いない時代が長く続き、復興は昭和の時代まで

待たなければならなかったようです。

また面白いところでは、武田信玄が得度した時の

頭髪を埋めたといわれる七重の石塔もあります。

なんで信玄やねん?

といいたくなりますが、その石塔も信玄の時代よりも

はるかに古いものだということもわかっています。

いにしえの人もいろいろ話を作ってくれるようです。

さてさて、鷲林寺を過ぎると観音山への登りです。

なかなか急な登り応えのある道です。

汗が吹き出します。

登り始めにはちらちら見えていた西宮の市街も頂上に

近づく頃にはガスだらけで真っ白、何にも見えません。

そろそろ腹ペコな奴も出てきたようなので、奥池まで

急ぎます。

観音山からの下りは走れる下り、気持ちよく走れる

はずが、そこかしこで池や川になっている。

よけて走っていたが、だんだんどうでも良くなってきて

ばしゃばしゃ走り出す。 これもまた気持ちいい。

ちょっと痙攣を起こした方もおられましたが、

がんばりましょう。

奥池でお昼、ここもガスで真っ白。

あやうく道を間違いそうになる。

それぞれおにぎりなどをぱくついたあと、水分の補給、

トイレ(有料です。山のトイレなのでご協力

お願いします)をすませて、さぁ最後の登りだ。

住宅街を抜け、舗装路を少し登っていくと、土樋割峠に

出ます。

ドビワリ峠と読みます。何かありそうな地名でしょ。

昔ある旱魃の年に芦屋川が枯れてしまったことが

ありました。

困った芦屋の住人たちが芦屋川の上流を調べていると、

この峠の反対側に川が流れているのを見つけた。

この川から土樋を通す工事をして芦屋川の支流、

蛇谷へ水を導いた。

しかしこの川は住吉川の支流だったので、今度は

住吉川の水量が減ってしまった。

怒った住吉川の住民たちはこの土樋を壊してしまう。

すると芦屋の住人たちはお恐れながらと奉行所へ

訴え出る。  大騒動になってしまいました。

何とか話はまとまったようですが、この故事にちなみ、

この峠を土樋割峠と呼ぶようになったそうです。

ここから蛇谷北山への登り、ここもかなりの急登。

これを越えればすぐに石の宝殿。

ここはもともと修験道の道場だったようです。

近世では雨乞い場、今でも神社として機能しています。

石の宝殿といえば加古川の方ではJRの駅名にも

なっているし、金剛山にもあるようですね。

大きな石を見ると日本人は神を感じるようです。

さあここからは六甲全山縦走の終盤の下り道。

皆さんよれよれになりながら下っていくところですが、

今日の距離ぐらいだと足は十分残っていますから、

絶好の楽しめる下りです。

しかし、先ほど痙攣をおこしていたYuさんがここで、

エスケープルートを行くことに。

ワンダーフォーゲルをやっておられた山女さんと

聞いていましたが、今日は少し不調のようです。

しばらく先頭で下っていましたが、そろそろ

Mっくん先生に下りのお手本を見せてもらおうと、

先頭を譲りスイーパーへ。

下り好きの山男、山女たちがMっくんにへばりつくように

続いていく。 ついて行くのは大変だぞ。

怪我をしないように!

そんなこんなで宝塚へ到着。

ナチュールスパで汗を流し、駅近くの珉珉にて

打ち上げ。

結構な人数にもかかわらず、大きな怪我もなく、

終了できました。 みんないろいろフォローありがとね。

また行きましょう。

上高地は神垣内

トレイルランニングも楽しいけれど、じっくり山や森と対話する

ようなトレッキングや登山も、そろそろやりたい。

嫁は嫁で昔からのあこがれの地、北アルプスの上高地行きを

計画。 しかし、行ける日をさがすと、先週末しかなかったので、

信州へ出かけてきた。

信州といっても信濃の国と飛騨の国の国境。

岐阜県側、飛騨高山からアプローチ、平湯のあかんだな駐車場に

車を止め、バスで上高地へ。  マイカーは一切入れません。

大正池バス停で降車すると、写真でよく見る立ち枯れの木が

水面から突き出しているあの景色。

でも、もっとたくさんあったような・・・。

Photo

それにこんな狭かったかな、

池とはいえ、川幅が少しだけ

広くなっているだけ。

聞けば、すぐそばに立つ

焼岳からの泥流で

かなりやられているようだ。

Photo_2

川沿いの森をトレッキングです。

嫁は例によってどんどん

登場する見たことのない

花に興奮気味。

新しく仕入れたカメラで

撮りまくり、なかなか前へ進みません。

     Photo_3

梓川越しに穂高連峰を望む。

ため息の出るような

美しさです。

                        

                  

自然は景色だけではありません。

こいつらも普通に登場してきます。

さすがにニホンカモシカは遠くからでしたが、サルもアヒルも

やまばとたちも人間をいっさい怖がりません。

危害を加えることはもちろん、えさをやったりすることも、

とにかくかかわりあいになることをすべて禁止されていますので、

むこうにすれば無視するしかないようですな。

Photo_6

Photo_7                   

Photo_5

                      

                                              

                                                                     

Photo_12

                                           

森は続きます。

                  

                 

                   

さて偶然だったんですが、この日は上高地音楽祭と銘うって

山本潤子さんのコンサートが開かれておりました。

無料だったので、しっかり聞くことに・・・。

Photo_4

若かりし頃、赤い鳥のファンでした。

その中でも、後藤悦治郎の

奥様になった平山泰代さんと

当時新居潤子といっていた

彼女の歌声には

しびれまくっておりました。

後に紙ふうせんとハイファイ

セットに別れ、ハイファイセット

解散後もソロで精力的に活動されています。

穂高の山々に囲まれて聞く彼女の歌声は、かなりお年を召した

にもかかわらず相変わらずおじょうずで、すばらしく魅力的でした。

でもまわりを見渡すと、やはり同世代の人が多かったですね。

この模様はテレビでも放送されるようです。

Photo_8

さて大正池から8キロほど

でしょうか、今日のお宿、

徳沢園に到着です。

ここは井上靖の小説”氷壁”に

登場する宿なので「氷壁の宿」

とか、クライマックスでは主人公 魚津恭太が山へ行き、

彼の恋人 小坂かおるがこの宿で、彼の帰りを待つところから

「かおるが待つ宿」などと言われているそうです。

また、新田次郎の”栄光の岩壁”にも登場しています。

穂高を登るには絶好の基地となる位置ですから、

山岳小説にとってもなくてはならない宿なんでしょうね。

さすがに中は古いつくりで長年磨き上げられて黒光りのする床や

壁が美しい素敵なお宿でした。

Photo_10

これは南州書、つまり

西郷さんが書かれた

ものですが、なぜここに

あるんでしょうか?

      

      

        

        

                                        

中のスタッフもアルバイトらしいんですが、たぶん山が好きで

好きでたまらんというような感じの若者ばっかりで、山について

質問するとみんな親切に行き届いた答えをしてくれました。

Photo_9

宿のすぐ前はキャンプ場に

なっていて、数張りのテントが

見える。 

 

山小屋ですがちゃんとお風呂もあります。

このあたりまでのトイレもきれいですし、排水処理にも

いろんな技術が導入されているんでしょう。

商売柄ちょっと気になりました。

夕食もこのあたりの食材を使った派手ではないですが、

丁寧に作られた物で美味しかったです。

ただご飯だけは穂高の麓とはいえ1600メートルの高原

ですから、気圧が低くなかなかうまく炊くのは難しいようです。

あくる日は山に登る予定はなかったのですが、せっかくだからと

宿のスタッフに聞いてみると屏風岩ぐらいまでなら、たいして時間も

かかりませんよということで行ってみる事にした。

 Photo_11    

1時間半ほどでこんな景色、

屏風岩です。

国内最大の岩場で

ほぼ垂直に近い岩壁が

900メートルそそり立っています。

ここを巻いていくと涸沢に入り、少し登ると涸沢カールと呼ばれる

大雪渓にたどり着くのですが、ちょっと時間が足りなさそうなので

ここから引き上げです。

Photo_13    

このあたりでも雪がたくさん

残っていますし、屏風岩にも

いくつか雪解け水の滝が見えます。

                     

横尾山荘前まで戻り宿で用意してくれた弁当をいただきました。

自家製?らしきたくあんが美味しかった。

さあそろそろ帰りを急ごう。

徳沢園に戻り、明神で対岸へ移り、明神池をのぞく。

Photo_14

穂高神社奥宮

                      

                    

                    

                                           

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明神池

                     

                   

                   

さらに湿地が広がる森の中を歩き続ける。

朝からのトータル距離を計算すると、20キロほど。

走らないで歩き続けると20キロはかなりの距離。

大きなザックもかなり効いてきています。

河童橋からバスターミナルへ向かい平湯へ戻る。

平湯のバスターミナルで風呂をいただき、帰路につく。

例によって途中で地酒を仕入れる。

飛騨のお酒は美味しいですよ。

今回は天領の純米吟醸と深山菊のしぼりたて生酒 左門次です。

しばらくは美味しい日本酒が飲めます。

今回はお山の入門編という感じでしたが、あそこまで行って

穂高の威容を見てしまうと今度は是非あの上へ行くぞという

気持ちを持ってしまうのは仕方ないですね。

次までに少しは経験を積まなければ。

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