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2011年2月

墓場で大騒ぎ

結婚は"人生の墓場"という言葉を聞いたのはいつ頃

でしたでしょうか。 どういう意味なんでしょうね。

いつ頃の言葉かと考えてみると、かなり小さい頃に聞いた

ような気がするので、我々の親父かその上の世代の言葉かな。

とすれば、まだまだ男性社会の中で、酒、女遊びや博打などで

独身を謳歌し自由に生きていたのが結婚を機に家庭を持ち

さまざまなことに束縛される生活を余儀なくされる、

それを称して墓場と言ったと考えるのが普通の考え方ですよね。

今の世相とはだいぶ離れている気はします。

さてそれはさておき、久しぶりにその墓場へ行ってきました。

嫁のお母さんの妹さんの息子さん、つまり義理のいとこ

の結婚式です。

昔から正月には嫁のお母さんの姉妹は集まっていましたから、

彼が小さい頃はみんなが酒飲んでる間に一緒にキャッチボールを

したりして遊んでましたが、少し大きくなってくると足も遠ざかって

いました。

それが今年の正月は突然久しぶりに登場、おまけに彼女も一緒

に来て結婚しますですと、びっくり仰天でした。

さらに歌も一曲歌ってくれとのこと。

そっちの話であれば、嫌いなことではないので、二つ返事でOK。

カラオケもあるとのことだったんですが、そういうことならギター

持って行って歌ったるわと、大きなことを言ってしまいました。

さて何を歌おうかと考えると、我々がリアルタイムの頃は、

"てんとう虫のサンバ"が定番中の定番でしたが、

ある友人の結婚式で、新郎のためにその友人が歌っていた

ある歌にえらく感動してしまいました。

それが長渕剛の"乾杯"だったんですが、たぶんまだほとんどの

人がこの歌を知らなかったと思いますが、大きな力を持った歌

でしたね。あっという間にどこの結婚式でも聞こえてくるような

歌になってしまいました。

その時以来、いつかこれを結婚式で歌いたいと思っていましたが、

その機会は今までなかったのですが、ついにその日がやってきた。

P1000782m

当日は教会での式にも参列、

賛美歌も歌いいの、

フラワーシャワーも

やりいの、写真とりまくりいの、

フルコースでいよいよ

披露宴です。

まずは両家の代表がご挨拶、

こちら側は彼の兄貴がかなり緊張気味にしゃべる。

さらに私と同じような立場のいとこが乾杯の発声。

こっちも新婦の名前を間違える。すかさず彼の奥様が席から

突っ込みを入れる。

なかなかなごやかな雰囲気になってきた。

プロフィールや馴れ初めの紹介などがあり、進んでいく。

歌も始まりました。

少しだけチューニングしておこうと外へ出て帰ってくると

新婦の友人の歌の最中でした。

決して上手ではないのですが、新婦のために歌いたい

という気持ちががんがん伝わってくるすばらしいステージでした。

どうやらその後らしい、ちょっとやりにくいかも・・・。

一応何日かは練習もしましたけれど、いつ頭が真っ白に

なるとも限らないのでカンペもギターに貼り付けてます。

でも普通のスピーチではなくギターを抱えていると妙に

落ち着きます。  歌で良かった・・・。

Imgp4188m

何ヶ所かもたつきながら、

1回歌詞をを忘れながら

なんとか歌えました。

ステージを降りギターを

片付けようとしていると、

何だぁ、アンコールというような

言葉が聞こえてくる。

司会のお姉さんもそんなことを

言い出した、あちゃぁ、

そういえば披露宴前の打合せの時に"乾杯"が他の人と

かぶったときのためにもう一曲用意していると言ってしまって

いたので、言ったらやりよるわいと思われてしまったようだ。

こうなれば仕方なし、もう一度ステージへ。

用意していたのは"陽のあたる道"。

人生いろんなことがあるけど、いつか陽のあたる道へ出て

幸せになれるよてな感じの歌です。

結婚式にはぴったりですな。

ちなみに高石ともやが歌っていた歌です。

にぎやかな歌なのでジャンジャカやりだすと、嫁も出てきて歌いだすし

みんな手拍子で盛り上げてくれるし、めっちゃ気持ちよく歌わして

いただきました。 ありがとうございました。

なんかこっちの方が楽しんでしまって、申し訳ない気も・・・。

そんなこんなで余興も終わったあとは両親への花束贈呈や

ご両親や新郎からの挨拶があり、披露宴も終了です。

その後はお決まりですね、新郎新婦は友人たちと2次会、

こちらも親戚連中と2次会で結構飲んでしまいました。

いやぁ、結婚式ってやっぱりいいですねぇ~。

墓場じゃないわ。

厳寒の箕面ロゲイニング

ロゲイニングってご存知でしょうか?

トレイルランニングとオリエンテーリングを一緒にしたような

競技です。

山の中に設置されたコントロール(チェックポイント)を

探し出してコントロールごとに設定された得点を積み重ねていく

競技です。

急勾配の山の上とか行きにくいところは当然高得点です。

緩やかな登山道のそばなどは低くなります。

一定時間内にチェックしたコントロールの得点の合計を

競います。

今回、チェックの確認はEカードと呼ばれる特殊なカードで

行ないます。

去年に引続き、今年も参戦。

今年はもっくんに加えボガさんも参加。

チーム神戸三兄弟の出来上がりだ。

ラントレ関西からも3チームほど参加しているようだ。

会場は箕面市立萱野北小学校、箕面の山の麓にある学校です。

8時過ぎに到着、体育館で受付を済ます。

体育館の床が冷たい。外で日差しにあたっているほうが暖かい。

今日は暑くなりそうだ。

9時からは地図読みの講習、しばらく聞いていたが、

途中からパス。

スタート地点に移動して競技説明の後、いよいよ地図が

配られる。

オリエンテーリング用に作られた箕面の山の地図です。

道はもちろんのこと、道でないところの状態まで詳しく

書き込まれています。

この地図があれば道なき道を行くことも可能になります。

この中にコントロールの得点も書き込まれています。

さあ三人で戦略会議、大まかなルートを決め、10時ちょうどに

スタート。

競技時間は3時間、1時までにどれだけのコントロールを

廻れるか。

大まかには反時計回りで行く作戦だ。

最初のCP(コントロールポイント)88をゲット。

次はCP87を狙い林の中へ突入、これが失敗だった。

ルートを探しているうちにもとの道へ出てしまった。

時間だけ食って遠回りしただけ、おまけにボガさん木の枝が上を

向いているところへ転倒、お尻に枝が刺さって名誉の負傷です。

CP87はあきらめCP77へ向かう。

ここからは順調に得点を重ねていく。

この数日の雪や雨でかなりのぬかるみかと覚悟していたが、

それほどでもなく、気持ちよく走れる。

やがて勝尾寺に出る。だんだん雪が残っているところが

増えてきた。中には凍結しているところも・・・。

CP130ゲット、ここからは今回広がってはじめて

ロゲイニングのフィールドになった地域を走る。

今回の最高得点のCP140もここに含まれる。

山の調査がまだのようで状態を表す印が何も書いていない。

おまけに積雪5センチあまり、道を行った方が無難のようだ。

CP140、CP115、CP107とゲット、さあそろそろ帰る算段を

しなければ・・・。

3時間を越えてしまうと1分当たり100点の減点。

必死で稼いだ得点があっという間に消えてしまう。

狙いをつけた尾根のルートをロスト、仕方なく通りやすそうな

谷へ突っ込む。なかなかうまく進めて県道に出る。

前回はこの道路をぶっ飛ばして帰ったが、今回は道路周辺に

あまりコントロールがない。山を突っ切って帰ろう。

CP110、CP97、CP75と進み、最後にCP90をねらいに行ったが

こいつに行くと時間内に帰れないと判断。

90点取って100点減点されてはたまりません。

そのままゴールへ、2時間54分ほどでゴールです。

結果は男子チームの部で4位でした。

しかし3位との得点差はわずか30点。

最初のCP87か最後のCP90のどちらかを取れていれば

3位だったのに。

たらればは言ってはいけないが、これはくやしい。

賞品もあったのに・・・、ぶつぶつ。

でもまあ1日野山を駆け回って最高に楽しかったから

良しとしましょう。

関西でのロゲイニングの大会はまだまだ少ないので、

もっと増えてこないかなぁ。

こんなおもろいこと、なかなかないですよ~。

たつの市潮と梅の香マラソン

なにわののマラソンフリークが大阪国際女子マラソンに

沸き立つか、大阪ハーフを走っているかというその日、

兵庫県は播州たつの市御津で開かれる

潮と梅の香マラソンに参加した。

春のフルに向けてハーフを1~2本走っておきたい

ということだけだったんですが、なかなか面白い

マラソン行となりました。

御津は梅が有名なところでいくつかの大きな梅林が広がって

います。

この梅林と美しい瀬戸内海の間を走るハーフマラソンです。

距離は他にも2キロ、3キロ、5キロ、10キロとあり、

地元の小学生や中学生、高校生もわんさか出場する

にぎやかな大会でした。

特に5キロは高校駅伝で有名な報徳学園や西脇工業の

陸上部員がずらり、これはきっと全国レベルなんでしょうね。

とにかく寒かった。

スタート時の気温ははっきりはわからないですが、氷点下1~2℃

ではなかったでしょうか。

御津運動場がスタート、ゴールですが、まずは国道250号線を

西へ向かう。

このあたりに梅園が広がっているそうですが、季節的に

まだまだのようです。

すぐ海沿いの道へ出て、しばらく行って折り返し、

御津運動場前まで戻って11キロ、今度は東へ向かい揖保川を

南下、多分埋め立てられた田園地帯だと思うんですが、

つまりは吹きっさらし、西からの横風にあおられ走りにくいこと

この上ない。

体重の軽い女性など、堤防から川へ転げ落ちそう。

ようやく海まで出ると今度はその風を正面から受ける、

進まな~い。

海は水もきれいだし、天気さえ良ければすばらしい景色が

広がっているとは思うですが・・・。

そこを抜けるともう残り3キロほど、あっという間に

ゴールでした。

さてさてこの日のお楽しみのもうひとつは牡蠣まつり。

マラソン会場のすぐそばの広場に御津や少し西の室津から

水産業者がとれたての牡蠣を思いっきりの安価で投げ売り、

もちろん他にも魚やえびなども売ってるし、地元の野菜なども

並んでいる。ちょっとした卸売市場ですな。

おまけに焼牡蠣、牡蠣汁、並んでいる食材を使った料理まで・・・、

イタリアンまであるでよ。どこも長蛇の列です。

こっちが走っている間に、嫁は牡蠣や海老をしこたま

仕入れたあと、そんな料理もねらって行列に並んでいたらしいが

売り切れ続出で悔しい思いをしたらしい。

この日の晩飯は牡蠣尽くしでした。

生牡蠣、焼牡蠣、しらさ海老の刺身、あくる日まで口の中が

牡蠣でした。

そしてマラソン会場の露店にはなんと姫路駅の駅そばが

出ている。

かん水を利用した中華そばに近い黄そばを普通の

うどんそばのかつおだしで食べるちょっと変わったそばですが、

若かりし学生時代、帰りの電車に乗る前にこのそばをかきこみ、

電車に飛び乗ったものです。

腹ペコの時間帯だったからか妙にうまかった懐かしい味は

そのままです。

しかしこの寒さでか、だしが少しぬるかった・・・。

そして当時は80円か90円だったのですがここでは

350円でした、時代ですなぁ。

腹ごしらえして人心地ついた後、室津へ行ってみた。

この室津、現在は坂越、相生などと並び牡蠣で有名な漁港のうちの

ひとつでしかありませんが、港としての歴史は古く、奈良時代まで

さかのぼります。

P10007291

寺院の開基や橋や治水

などの土木工事に多大な

功績のあった奈良時代の

僧"行基″が       

湊の整備にも名を残しています。

摂播五泊といって摂津から播磨にかけて五つの泊まり(湊)を

整備しています。

川尻(尼崎)、大輪田(兵庫)、魚住(明石)、韓(的形)、

そして室生(室津)の五つです。

この室というのは三方を山に囲まれ、海がどんなに荒れていても

ここだけは室のように静かだという所からこの名があるそうです。

天然の良港ということですな。

以来海の駅として発展します。

そしてその最盛期はやはり江戸時代、この室津は空前の

賑わいを見せます。

1宿1本陣が原則の本陣がこの室津には六つもあったのです。

本陣とは大名や旗本、幕府役人、勅使などの宿泊所として

指定された家で、この室津では紀伊国屋、薩摩屋など商人の

邸宅であったようです。

そんな豪商の内、江戸末期から明治にかけて廻船業で

財を成した嶋屋の建物が海駅館という資料館になっています。

P10007301

面白いのは朝鮮通信使

饗応料理や参勤交代の

大名に出された献立の

模型がありそれを実際に

ここで食べることも

出来るそうです。

他にも魚屋という豪商の家を利用した民俗館もあるようですね。

この室津港の南の入口には賀茂神社が鎮座しています。

京都の上賀茂神社と同じ造りで同じ祭神をまつり、

紋章も同じ双葉葵。

1180年、高倉天皇が厳島神社へ行幸の時、室津に立ち寄り、

この神社に詣でた時に「こんな田舎に京がある」と

言わしめたとか・・・。

当時からそれほど立派な神社だったようです。

さらにこの神社には平清盛、足利尊氏、義満など歴史上の

そうそうたる人物たちが訪れているようです。

ほんとこんな田舎にねぇ・・・。

かのシーボルトはこの神社からの播磨灘のながめを絶賛

しています。

またこの神社の中にあるソテツは群生林としては北限に

あたる為、県の天然記念物に指定されているそうです。

そして神社自体は国の重要文化財にも指定されています。

もうひとつの国の重文が見性寺にある木造毘沙門天像。

これは通常は公開はされておらず春のお彼岸の頃だけ

公開されるそうです。

また井原西鶴が”好色五人女”で小説に、近松門左衛門が

浄瑠璃にしたお夏清十郎の物語、もとは実在の事件だった

ようですが、姫路の豪商の娘お夏と恋仲になる清十郎の

出身地がここ室津です。

P10007321

他にも法然上人が創建した

25霊場のひとつ浄運寺が

あったり、木曽義仲の夫人

であった友君がこの地で

遊女になったとか、

はたまた遊女発祥の地はこの室津であるとか、

大坂城築造に使おうとした巨石をこの室津の湊で落として

しまったとか、ほんとねたには事欠きませんね。

また文学の方でも西鶴、近松はむろんのこと、古くは

山部赤人から、近くは与謝野蕪村、谷崎潤一郎、竹久夢二、

木下杢太郎、平岩弓枝などが室津を愛し足跡も残しています。

かの司馬遼太郎も”街道を行く”のなかで室津を

とりあげています。

P10007311

司馬が室津を訪れた頃は

本陣も朽ち果てかけながらも

残っていたらしい。

いやはや、こんなおもろい

ところだったとは・・・。

きっちり調べてから

来れば良かった。

                  

                                     

ぜひもう一度訪れてみたいところです。

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